2022年10月24日 礼拝説教 「貧乏くじ」
2022年10月24日 礼拝説教
「貧乏くじ」
創世記13章5節~17節
5節
アブラムと共に旅をしていたロトもまた、羊や牛の群れを飼い、たくさんの天幕を持っていた。
6節
その土地は、彼らが一緒に住むには十分ではなかった。彼らの財産が多すぎたから、一緒に住むことができなかったのである。
7節
アブラムの家畜を飼う者たちと、ロトの家畜を飼う者たちとの間に争いが起きた。そのころ、その地方にはカナン人もペリジ人も住んでいた。
8節
アブラムはロトに言った。「わたしたちは親類どうしだ。わたしとあなたの間ではもちろん、お互いの羊飼いの間でも争うのはやめよう。
9節
あなたの前には幾らでも土地があるのだから、ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう。」
10節
ロトが目を上げて眺めると、ヨルダン川流域の低地一帯は、主がソドムとゴモラを滅ぼす前であったので、ツォアルに至るまで、主の園のように、エジプトの国のように、見渡すかぎりよく潤っていた。
11節
ロトはヨルダン川流域の低地一帯を選んで、東へ移って行った。こうして彼らは、左右に別れた。
内閣府は毎年、国民がどれほど生活に満足しているかについて調査を行います。毎年、報告書も出ますが、その内容からお金と幸せの関係が読み取れます。一定の金額まで、収入が多い人の方が生活に満足していることがわかりますが、必要な物が買える平均的な金額を超えると、収入が増えても満足度が上がらなくなり、年収三千万円を超えると、逆に下がり始めます。給料が高い人の中に、睡眠時間を削りながら、厳しいストレスに耐えている人が多くいますが、理由はそれだけではないようです。
最近、FIREという言葉が流行っています。「経済的自立と早期リタイア」という意味の英語の言葉の頭文字で作った言葉です。経済的自立と言えば、仕事に就くことをイメージしますが、FIREを目指す人たちは、本当の自立は仕事に就くことではなく、仕事をやめても暮らして行ける収入があることだと言います。株式の配当金や家賃収入で暮らせる生活を理想としますが、実際に体験して見ると、思ったようには行かないことが多いようです。時間が自由になり、お金もたっぷりあるのでストレスはないはずですが、糸が切れた凧のように目的を失い、満足どころではないことが多いと聞きます。
アブラムにはロトという、とても大事にしている甥がいました。ロトのお父さんは若い内に亡くなったアブラムの兄弟で、アブラムはロトの親代わりになっていました。エジプトの王様から身に余るほどの財産をもらったアブラムはロトにも気前よく分け与え、二人ともとても裕福になりました。お互いに上手く行ったかにも見えましたが、この財産が原因で、これまで支え合ってきた二人の間に亀裂が生じました。
遊牧民同士にありがちなのは縄張り争いです。家畜の群れが増えると、それに見合った牧草が必要になります。牧草に境目はなく、家畜は自然と草がある方向に向かい、寄って来る他人の家畜を追い払うと、喧嘩の種になります。家畜の群れが小さかった頃、アブラムとロトは協力し合い、同じ場所で仲良く動物を放牧させました。それを不可能にしたのはエジプトで手に入れた財産でした。群れの大きさが何倍にも膨れ上がり、エジプトで召し抱えた従者たちには、二人のこれまでの関係に配慮する思いはありませんでした。
エジプトでの失敗を深く後悔していたアブラムとは対照的に、ロトの頭から刺激の多いエジプトでの生活が離れませんでした。神様の声に従って都会を離れ、遊牧民としての暮らしを選んだアブラムと、都会の生活に未練があるロトには価値観のずれもありました。子供がいないアブラムにとって苦しい判断ではありましたが、甥のロトと別れることにしました。選択権を委ねられたロトが真っ先に選んだのはヨルダン川の水で潤おう、ソドムとゴモラの街の近くにある豊かな牧草地でした。
当たりくじを甥に譲ったかに見えたアブラムは、草が生い茂るヨルダン川の谷に背を向け、条件が悪そうな山岳地帯に向かいました。この時のアブラムはエジプトに逃れた時とは別人のようで、表情が落ち着いていました。対照的に、悔しい気持ちを隠せなかったのは、自ら貧乏くじを引く親分に付き合わされた、アブラムの従者たちでした。しかし、アブラムには、彼らに見えない世界が見えていました。同じ貧乏くじでも、神様からもらったくじなら必ず福が付いていると気づいていました。そう信じたアブラムだからこそ、この物語が続きます。
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