2022年10月17日 礼拝説教 「再スタート」

 20221017日 礼拝説教

「再スタート」

創世記1217節~134

17節            ところが主は、アブラムの妻サライのことで、ファラオと宮廷の人々を恐ろしい病気にかからせた。

18節            ファラオはアブラムを呼び寄せて言った。「あなたはわたしに何ということをしたのか。なぜ、あの婦人は自分の妻だと、言わなかったのか。

19節            なぜ、『わたしの妹です』などと言ったのか。だからこそ、わたしの妻として召し入れたのだ。さあ、あなたの妻を連れて、立ち去ってもらいたい。」

20節            ファラオは家来たちに命じて、アブラムを、その妻とすべての持ち物と共に送り出させた。

13

1節                アブラムは、妻と共に、すべての持ち物を携え、エジプトを出て再びネゲブ地方へ上った。ロトも一緒であった。

2節                アブラムは非常に多くの家畜や金銀を持っていた。

3節                ネゲブ地方から更に、ベテルに向かって旅を続け、ベテルとアイとの間の、以前に天幕を張った所まで来た。

4節                そこは、彼が最初に祭壇を築いて、主の御名を呼んだ場所であった。

墓穴を掘った。魂を売った。目の前が真っ暗。お金さえあれば幸せだと思うなら、アブラムはラッキーな男でした。文明都市を捨てた人間が後戻りするのは簡単なことではありません。しかし、皮肉なことに、きれいな奥さんが妹だと嘘をついたお陰で、アブラムに幸せが転がり込んだかに見えました。食べる物さえあれば良いと思って逃げ込んだ文明国家エジプトで、アブラムは王様のファラオからひいきされる人になりました。

しかし、一夜にして大変な財産を手に入れたアブラムの心に大きな穴が空いていました。若い頃から連れ添ったサライは手の届かない所に連れ去られ、心の支えだった神様の声が聞こえなくなり、気持ちを奮い立たせてきた夢も消えました。一番大事なものを失ったアブラムは、虚しさと寂しさに襲われ、エジプトのご馳走も音楽も、楽しめる心境ではありませんでした。ピラミッドを眺めながら毎日、呆然のナイル川のほとりに立ち尽くしていました。一度は理想に燃え、お金で手に入らない物を掴んだ人が、それを失った時に味わう幻滅は、言葉に表せないほど大きなものです。

アブラムはこれで終わった。これ以上、この物語を続ける必要はない。アブラムが発見した、目に見えない世界の大切さを知る人であれば、皆そう思ったに違いありません。しかし、そう思わなかったのは、最初に声をかけた神様ご自身でした。アブラムから始まるこの物語は全人類の幸せに欠かせないもので、ここで終わらせる訳に行きませんでした。アブラムを出られそうもないこの穴から救い出したのは意外なものでした。飢饉で押し寄せた遊牧民が持ち込んだと思われる、目に見えない小さなウィルスでした。

抵抗力も、ウィルスについての知識もない王様の家族は次々と伝染病に倒れ、バチが当たったと言って騒ぎ出しました。原因は何だろうと考えたところ、思い当たる節がありました。あの遊牧民のアブラムから譲り受けた女、サライ。家族に見送られ、宮廷に迎えられた時の表情は、人の心まで突き刺すかのように、険しかった。あれは愛している男に裏切られた女の恨みだろう。サライはアブラムの妹なんかじゃない。きっとアブラムの妻だよ。道理でこの恐ろしい病気に襲われた訳だ。

エジプトの宮廷に広がった焦りは尋常なものではありませんでした。これは偶然に起きた現象ではなく、アブラムを手放そうとしない、神様の仕業でした。これには古代文明の大王、ファラオも抵抗する力がありませんでした。サライをアブラムに返し、結納の品を持たせたままエジプトの国から追い出した背景に、目に見えない、大きな力が働いていました。危ない目に遭いながら、結果はオーライでした。食べる物もない難民としてエジプトに行ったアブラムは、裕福になった一族の酋長として出て来ました。しかし、サライは心の傷が深く、アブラムとの間にできた隙間が埋まるまで長い時間がかかりそうでした。

カナンの地に戻ったアブラムを迎えたのは留守中に降った雨に潤された、豊な牧草でした。神様に「ここだ」と告げられた場所から離れたことへの反省と、いるべき場所に戻ったという安堵感がアブラムの心に広がりました。妻だけではなく、神様をも裏切った。しかし、神様は自分を見捨てなかった。穴の底に落ちたのが自分以外の誰のせいでもないとしても、神様がついている人は途轍もなく強いです。絶望してもおかしくない状況の中にあっても、希望の光は消えません。

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