2022年10月12日 礼拝説教 「心が揺れるアブラム」
2022年10月12日 礼拝説教
「心が揺れるアブラム」
創世記12章9節~16節
9節
アブラムは更に旅を続け、ネゲブ地方へ移った。
10節
その地方に飢饉があった。アブラムは、その地方の飢饉がひどかったので、エジプトに下り、そこに滞在することにした。
11節
エジプトに入ろうとしたとき、妻サライに言った。「あなたが美しいのを、わたしはよく知っている。
12節
エジプト人があなたを見たら、『この女はあの男の妻だ』と言って、わたしを殺し、あなたを生かしておくにちがいない。
13節
どうか、わたしの妹だ、と言ってください。そうすれば、わたしはあなたのゆえに幸いになり、あなたのお陰で命も助かるだろう。」
14節
アブラムがエジプトに入ると、エジプト人はサライを見て、大変美しいと思った。
15節 ファラオの家臣たちも彼女を見て、ファラオに彼女のことを褒めたので、サライはファラオの宮廷に召し入れられた。
16節
アブラムも彼女のゆえに幸いを受け、羊の群れ、牛の群れ、ろば、男女の奴隷、雌ろば、らくだなどを与えられた。
先週から旧約聖書の三大人物の一人、アブラムの話を始めました。神様の指示に従い、居心地の良い故郷を離れ、未知の世界を目指して旅立った人です。カナン人が住む、今のイスラエルに着くと、「あなたの子孫にこの土地を与える」という約束を受けます。幸先の良いスタートを切ったようにも見えますが、アブラムはいきなり、大きな挫折を迎えます。立派な信仰があるはずだったアブラムは、とても情けない姿を晒すことになります。
アラビア半島を挟んで古代の四大文明の二つ、シュメール文明とエジプト文明がありましたが、アブラムはシュメール文明の都市、ウルを出て遊牧民になり、エジプトの方角に向かいます。今のイスラエルに当たる場所に着くと神様から「ここだ」と言われます。幸せを約束した神様が言うことなので、アブラムは良いことがあると期待を膨らましたことでしょう。
しかし、そこでまずアブラムを襲ったのは飢饉です。飢饉と言えば、不景気や不作のレベルの話ではなく、命を落とすほど食べる物がなくなり、餓死者が出ます。大きな川から水をくめるシュメール人やエジプト人と違って、カナンの地に住む人たちは季節ごとに降る雨を頼りにしていました。雨季になっても待望の雨が降らないと家畜が食べる草がかれ、家畜を頼りに生活する人間も困りはてます。
アブラムはこの場所に導いてくれた神様を信じ、忍耐して雨が降るのを待つことができましたが、次々と脱出する他の遊牧民の動きにつられ、ナイル川のおかげで食料がたくさんあるエジプトに向かいました。シュメール人と同じような生活をしているエジプト人と一緒に暮らすなら、ウルの街を出た意味がありません。トヨタを辞めて独立した人が不景気に困り、ホンダに勤めたような話です。
自信を失って焦るアブラムには、心の拠り所になるはずの、サライという美しい妻がいました。しかし、強い男たちの意思がまかり通るこの時代に、羨ましがられるほどの美人を妻に持つのは危険なことでした。結婚している美しい女性を見ると、その夫を殺して奪って行くのがよくある話だったからです。しかし、そのような女性の家族なら話は別です。財産がある男たちは、妻として譲って欲しいと言って高価な贈り物を持って来ます。
エジプトに近づくアブラムの心は揺れに揺れ、これまで信じていた神様だけではなく、愛する妻まで裏切ってしまいます。サライはとびっきりの美人だったことでしょう。アブラムが「妹だ」と言って嘘をつくと、とんでもないことになります。エジプトの王様の家来たちがサライに目を付け、王様がきっと喜ぶだろうと思って宮殿に連れて行きます。妻を奪われたアブラムは見返りに、想像もしたことのない財産を受け取ります。こうなってしまったアブラムは一体、どうなるのでしょうか。
「男としても、人間としても最低じゃないか」と思うかもしれません。「何が信仰だ。何が神様だ。このような人物を見習う必要はない。」そう思っても不思議ではありません。しかし、この物語に、聖書が教える信仰について大事な教訓が含まれています。聖書に出て来る、神様を信じて偉大なことをする英雄たちは一人残らず、心の弱い、過ちを犯しやすい人間です。
聖書は登場人物の弱点を隠すことなく、欠けのある人間であるという事実を明らかにし、同じように弱くて迷いやすい私たちに語りかけます。世の中の現実という壁にぶち当たったアブラムはここで理想を捨て、エジプト社会の一員になったのでしょうか。次回はこの話の続きになります。
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