2022年3月1日卒業式 「わたしは決して恐れない」

 202231日卒業式

「わたしは決して恐れない」

詩編4624

2節              神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。

 苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。

3節              わたしたちは決して恐れない、

 地が姿を変え、山々が揺らいで海の中に移るとも

4節              海の水が騒ぎ、沸き返り、その高ぶるさまに山々が震えるとも。

大人になっても豆電球を付けないと眠れない人もいますが、小学校前の子供のほとんどは、一人で暗い部屋で寝ることに怖さを感じます。四、五歳の頃、夜中に暗い部屋で目を覚ました時の恐怖は今でも覚えています。明るい内は見慣れた物でも、真っ暗になると怖い怪物らしい物に変身します。美味しそうな子供が寝ていると気づかれたら、ひとたまりもないと思い、身動きせずにじっとしていたのが記憶にあります。しかし、朝になると寝室はもとの状態に戻り、怖かった怪物たちはどこにもいませんでした。

このような幼児体験は成長過程の一部であり、寝室に怖い物が入って来るはずがないと悟ると、真っ暗な部屋で寝るのも平気になります。その一方、小さい頃に気にもしなかったことが、不安や恐怖として襲ってきます。失敗するのではないか、笑われるかもしれない、仲間外れにされたらどうしよう。大人になって今度はお金の心配、病気の悩み、家庭内の不和、仕事のストレス等が心を乱すようになります。

卒業生の皆様の高校生活は、一日も欠かすことなく礼拝から始まりました。神様に愛された者にふさわしく、人を愛しなさいとか、罪の道を選ぶことなく正義の道を歩みなさいなど、いかにもキリスト教的な教えを耳にすることが多かったと思います。しかし、聖書のどの個所を開いても、静かに響く低音のように、常にもう一つのテーマが流れていました。「恐れない。恐れることはない。恐れてはならない。」

1年生の時に次の話を聞いたと思います。イエス様の人気が高まり、数えきれないほどの群衆が集まっていました。しかし、それを見た弟子たちは不安に襲われていました。それは師匠であるイエス様は、ユダヤ社会の中で絶対に歯向かってはならない存在である、律法学者たちに矛先を向けていたからです。彼らの不安そうな表情に気が付いたイエス様は言いました。「体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。」

敵は恐れるに値しない。最悪の事態になっても、殺す以上のことはできないので、たかが知れている。これはブラックユーモアではなく、この言葉を語ったイエス様は真剣そのものでした。「語った真実は殺し様がない。恐れるべきことはむしろ、真実を曲げる人たちの前に屈することだ。」このような心境になれる人ほど強い人間はいません。見た目がいくらひ弱そうでも、横暴な権力者も、ブラック企業の雇い主も、DVで脅す配偶者も、いじめっ子のボスも、このような人には勝てません。できるのはせいぜい、殴ること、陰口をたたいて仲間はずれにすること、退学処分にすること、懲戒免職にすること、逮捕すること、最悪でも殺すことで、その人が語る真実は殺せません。

阿部宗教主事が読んでくださった詩編46編の作者は深刻な、生きるか死ぬかの問題に直面していました。干ばつや害虫による食料難、周辺地域から襲って来る略奪者、目に見えない敵として忍び寄る疫病。このような日常を体験しながら、作者はさらに壊滅的な天変地異を想像しながら断言しました。「わたしたちは決して恐れない。地が姿を変え、山々が揺らいで海の中に移るとも。海の水が騒ぎ、沸き返り、その高ぶるさまに山々が震えるとも。」

聖書の登場人物は決して模範的な英雄として描かれてはいません。間違った選択をすることもあれば、理想とかけ離れた生活に陥ったりします。ありとあらゆる苦難を味わうので、激しい不安に悩まされます。しかし、そのいとも人間らしい、心の不安定な人たちは神と出会い、宇宙の絶対者を信じる信仰に導かれます。その信仰は彼らに言わせます。「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。私たちは決して恐れない。」

幸せの数で人生を評価することもできますが、経験を積む内に、幸せほど脆弱な物がないことに気が付くと思います。人生が上手く行ったと言えるのは、次々と芽を出す苦難の前におじけることなく、恐れないで立ち向かう心を自ら育てた人間です。狙われる獲物だった頃、人間にとって恐怖本能は生存に欠かせない物でしたが、この時代に生きる私たちにとって、恐れは判断力を鈍らせ、解決策の発見を阻み、チャンスを失わせます。集団心理に発展すると、恐れは不正を存続させ、敵対心を煽り、進歩を遅らせます。

二百数十年前に津軽の人口を半減させた大飢饉や、七十数年前に日本の都市部を襲った空襲や、四十二年の間、世界を核戦争の恐怖に陥れた冷戦時代を思い起こすと、私たちが今、直面するパンデミックや、気候変動や、周辺国との緊張の高まりは小さな悩みかもしれません。食料難を乗り越え、病気を克服し、戦争を回避させる人間の能力に飛躍的な進歩が見られました。昔の世代に比べると、卒業生の皆様の心配事はかなり緩和されたとも言えます。

とは言うものの、卒業生の皆様は、20世紀に生まれた私たちに予想できなかった課題があるのも事実です。ご両親が生まれた頃、大人たちのほとんどは結婚して家庭を築きましたが、今の社会情勢では、家庭を持ちたくても持てない人の数が年々増えています。人工知能の発達は、一部の技術者を除く労働者を必要としない社会につながるとも言われています。青森県で今生まれている子供の数は25年前の半分に落ち込み、50年前の4分の1しかいません。子供を生む家庭が多い弘前市を見ても、72歳の市民が約3,000人いますが、42歳の市民は約2,000人、2歳の市民は約1,000人しかいません。私たちが頼りにしている地域社会はこのまま消えて行くのでしょうか。命を急に奪う災難とは言えなくても、静かに、見えない形で、「地が姿を変え、山々が揺ぎ、海の水が騒いでいる」ようにも見えます。

どの時代に生きていても、人は何らかの不安に襲われます。だからこそ、これからやって来る人生の節目に備え、東奥義塾で培った信仰を大事にして欲しいと思います。新しい局面を迎えて心細くなった時、この言葉を口にしてください。「わたしは決して恐れない。」

卒業生の皆様。ご卒業、おめでとうございます。今までは同級生と同じ制服を着て、同じ時間に登校し、同じ校則に縛られ、周囲にいる人に合わせるだけで、何とかなる世界に生きてきました。明日からは大学、専門学校、企業などに進み、自分で選び、自分で責任を負う生活を始めます。学力的には、どの世界にも対応できる力を身に着けたと思いますが、善悪の判断をする上でも、養った学力に負けない力を発揮して欲しいと思います。周囲に流されそうになった時、間違った行動を取る前に、集団から離れる勇気を持ってください。その一方、「これ」と確信した道を発見した時は恐れずに突き進んでください。東奥義塾の卒業生に相応しい存在として羽ばたき、より良い世界を作る活躍をしてください。

保護者の皆様。ご子息、ご息女のご卒業、おめでとうございます。十八年余り続いた子育ては大きな節目を迎えました。お子様の一歩一歩に気を配りながら過ごして来た日々は、今となって大きな実りをもたらしました。片手を使っても持ち上がった、あの小さな命は、何の恐れもなく、自分の人生を、自分の責任で歩む、立派な姿で高等学校を卒業することになりました。保護者様の夢と期待を背負いながら、一家の誇るべき代表として、力強い歩みを続けて行くと、固く信じています。

ご来賓の皆様。今年度も私たちの卒業式にご列席いただき、まことにありがとうございます。普段から我が校を深く心に留め、教職員である私たちをご指導いただき、今日、卒業する一人一人をこの三年間、励まし、支え、暖かく見守ってくださったことを、心から感謝申し上げます。今後も、卒業する生徒の後輩にあたる一人一人に、特別な目を注いでくださるよう、お願い申し上げます。

今日ここに集まり、ここから出て行く、尊いお一人お一人の上に、神様の豊かな祝福があることを祈り、式辞といたします。

                    202231

                  東奥義塾高等学校

               塾長 コルドウェル ジョン

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