2022年2月7日 礼拝説教 「日本人の救い主」

 202227日 礼拝説教

日本人の救い主

ルカによる福音書32338

23節           イエスが宣教を始められたときはおよそ三十歳であった。イエスはヨセフの子と思われていた。ヨセフはエリの子、それからさかのぼると、

24節           マタト、レビ、メルキ、ヤナイ、ヨセフ、

25節           マタティア、アモス、ナウム、エスリ、ナガイ、

26節           マハト、マタティア、セメイン、ヨセク、ヨダ、

27節           ヨハナン、レサ、ゼルバベル、シャルティエル、ネリ、

28節           メルキ、アディ、コサム、エルマダム、エル、

29節           ヨシュア、エリエゼル、ヨリム、マタト、レビ、

30節           シメオン、ユダ、ヨセフ、ヨナム、エリアキム、

31節           メレア、メンナ、マタタ、ナタン、ダビデ、

32節           エッサイ、オベド、ボアズ、サラ、ナフション、

33節           アミナダブ、アドミン、アルニ、ヘツロン、ペレツ、ユダ、

34節           ヤコブ、イサク、アブラハム、テラ、ナホル、

35節           セルグ、レウ、ペレグ、エベル、シェラ、

36節           カイナム、アルパクシャド、セム、ノア、レメク、

37節           メトシェラ、エノク、イエレド、マハラルエル、ケナン、

38節           エノシュ、セト、アダム。そして神に至る。

私はNHKの「ファミリーヒストリー」という番組がとても好きです。その日の主人公に興味がなくても、先祖を調べて行く内に日本人が歩んできた道がありありと見えて来るので、吸い込まれるように見てしまいます。

江戸時代までにできた系図に創作品が多いので、よほど由緒ある家ではない限り、当てになりません。しかし、明治19年以降にできた戸籍はかなり正確なので、火事や空襲で失われていない限り、日本人のほとんどは戸籍を頼りに江戸時代の末期までさかのぼって家系図を作ることができます。高校生には興味がないかもしれませんが、年を取るに従って、先祖のことが気になります。親戚にお年寄りがいるなら、亡くなって聞けなくなる前に、先祖のことを聞いて書き留めた方が良いと思います。

とは言っても、先祖にどれほど立派な人がいても、何代も続くとその人のDNAのごくわずかしか受け継いでいないことになります。この知識は近代社会を家系主義や民族主義から解放し、人をあくまでも個人として尊重する上で、大きな役割を果たしてきました。近代科学以前は東西問わず、血筋を重く見たので、卑しい身分からのし上がった人でも、高貴な先祖がいると主張し、それを証明しようと一生懸命努力しました。

ヨーロッパの中世まで、古代ギリシャの哲学者、アリストテレスの教えは幅広く信じられていましたが、アリストテレスは人間の資質のすべては男性から受け継がれると教えました。今の時代に、血筋に基づく王室や皇室が存続しているのはとても不思議なことだと思いますが、女系天皇を認めるかどうかの議論も古くからある、人類の潜在意識に深く根付いていることがわかります。

「新約聖書を読み始めたけど、名前ばかり並んでいたからすぐに止めた。」これはよく聞く話ですが、新約聖書の最初の書物、マタイによる福音書がイエス様の系図から始まっているのはよく知られています。しかし、ルカによる福音書にも系図があって、その内容がマタイの系図と大きく食い違っているのは、聖書をキチンと読んだ人以外は知らないと思います。マタイはイエス様がれっきとしたユダヤ人であることを証明するために民族の祖先、アブラハムから系図を始め、王位を継承するのに相応しい人物であることを証明するためにダビデ大王から続くユダヤの王様の名前を並べました。

ユダヤ人だったマタイは、初代キリスト教会のリーダーでありながら、ユダヤ民族に強いこだわりを見せました。ルカは異邦人、つまりユダヤ人ではない民族の人で、異邦人の救い主でもあるイエス様を強調しました。アブラハムとダビデの子孫であることは否定しませんでしたが、神様に造られた最初の人、アダムまでさかのぼりました。つまり、ユダヤ人であろうと、異邦人であろうと、皆が神様に造られたアダムの子孫であり、結局は皆、イエス様につながっていると主張していました。

今もあるかどうかわかりませんが、札幌市に日本の国旗を正面に立てている教会堂がありました。「ここは右翼の教会ですか?」と聞かれた牧師は答えました。「違います。イエス様は日本を愛しています。それを言いたかったから立てました。」イエス様を独り占めしとうとするユダヤ人に対して、ルカは同じような主張をしていたのかもしれません。イエス様はユダヤ人ではない、私たちの救い主でもあります。人種や民族を根拠に、人を分断させようとする思想は、新約聖書の教えとは正反対のものです。

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