2022年1月31日 礼拝説教 「受け答えに驚く」

 2022131日 礼拝説教

受け答えに驚く

ルカによる福音書24152

41節             さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。

42節             イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。

43節             祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。

44節             イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、

45節             見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。

46節             三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。

47節             聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。

48節             両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」

49節             すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」

50節             しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。

51節             それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。

52節             イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。

新約聖書には、イエス様の少年時代を取り上げた話はこの一つしかありません。紀元2世紀の終わり頃、これでは物足りないと思ったのか、トマスによる幼児福音書という書物を書いた人がいました。バカバカしい話もあれば、ひどい話も入っているので、教会は有害図書に指定しました。何故か、イスラム教のコーランにも記載されたのは、5歳だった少年イエスが、仕事をしてはならない安息日に、粘土の鳥を12羽作ったという話です。「この日に粘土遊びするのはダメだよ!」と大人に叱られたイエスは手をたたくと、粘土の鳥は生き物に変身して飛び立ちます。その後、少年イエスは肩にぶつかってきた子供を呪うと、その子供は死んでしまい、ヨセフに抗議しに来た両親の目が見えなくなります。最後に、今日の聖書箇所と同じ、12歳のイエスが神殿にいる学者たちを驚かせたという話が載っています。

これも神話かと思うかもしれませんが、新約聖書の記事はナザレのイエスを目撃した人たちが生きている間に書かれた物なので、信じるかどうかは別問題として、単なる神話として片づけることはできません。思春期を迎えたユダヤ人の少年は、旧約聖書の律法を学び始め、律法の勉強会では、最前列に座らされました。若い世代に信仰を伝えるのを大事にしていたユダヤ人は、一番前にいる少年たちに質問を向けながら、講義を進めました。

トンチンカンな答えをする少年もいましたが、12歳になって初参加した、この田舎育ちの少年の答えは際立っていたので、皆が驚きました。マタイによる福音書に、大人になったイエス様も、律法学者と違って権威ある者として教えたと書いています。人を窮屈にするためにではなく、人を幸せにするために与えた律法なので、神様が何を意図して与えたのかと問いかけ、文字にとらわれないで、本質を突く答えをしました。

過越祭のためにエルサレムに上る巡礼者たちは、集団になって徒歩でやって来ました。ナザレからエルサレムまで45日かかりましたが、足が遅い女性たちが先に出発し、男性たちは少し遅れて出かけ、夕方までに追いつくことになっていました。前の年まで子供扱いの少年イエスは女性陣と一緒に歩きました。しかし、12歳になったイエスは今回から、お父さんと一緒に帰ると思ったマリアは先に出かけました。周囲に見当たらないので、ヨセフは今まで通りにマリアと一緒に帰ったのかと思いました。夕方になって合流するとイエスがいないので、二人は焦ってエルサレムに戻り、探し回りました。

少年が行きそうなところを全部回っても、イエスはいませんでした。最後に行きついたのは、「まさか」と思った所、神殿の境内で律法学者たちが集まっていた場所した。田舎の大工とその妻は、立派な恰好をした偉そうな学者たちの間をかき分け、律法についての議論を夢中になって聞く我が子を探し当てました。思春期を迎えた少年イエスは、ヨセフが本当の父親ではないと薄々感じていました。神殿で律法についての講義を聞いている内にイエスは、本当のお父さんに出会った気になり、身動きが取れなくなりました。

散々困らせたことを責め立てる両親に、不思議なことを言ったのはこの時でした。「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」生意気にも聞こえますが、イエスは素直に両親と共に帰り、ナザレで従順な息子として父母に仕えました。ルカの3章に入ると、大人としてデビューするイエス様に出会います。

Comments

Popular posts from this blog

2019年3月8日 終業礼拝 「心のメンテナンス」

2024年2月26日 礼拝説教 「同行してくださる神」

2023年7月10日 礼拝説教 「人の心を固くする神」