2022年1月17日 礼拝説教 「あなたの救いを見た」

 2022117日 礼拝説教

あなたの救いを見た

ルカによる福音書22232

22節           さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。

23節           それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。

24節           また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。

25節           そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。

26節           そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。

27節           シメオンがに導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。

28節           シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。

29節           「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。

30節           わたしはこの目であなたの救いを見たからです。

31節           これは万民のために整えてくださった救いで、

32節           異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」

「モーセの律法に定められた清めの期間。」旧約聖書に書かれているユダヤ人の律法によると、男の子を産んだ女性は産後40日、家を出ることも、礼拝堂のような場所に行くことも許されていませんでした。女の子を産んだ場合の日数は、何故かその倍の80日でしたが、これを産婦の「清めの期間」と言いました。

初子、つまり、初めて生まれた子供の場合は、神殿に行って行う儀式がもう一つありました。それは、ユダヤ人が奴隷として捕らえられていたエジプトから脱出した夜に起きたことに由来するものでした。ユダヤ人の解放を拒んだエジプト人とその家畜から生まれた初子は皆、一夜の内に、死んでしまいました。恐ろしい伝染病が広がったものと思われますが、ユダヤ人とその家畜は皆、無事でした。

この出来事を記念して、最初に生まれた動物は皆、いけにえとして神様に献げることになり、人間の場合は子供に代わって一匹の雄羊と、一羽の鳩を献げることになりました。ただ、羊は高価な動物なので、貧しい家の場合は二羽の鳩で良いという決まりもありました。清めの期間を終え、イエスを抱いてエルサレムの神殿に上ったマリアとヨセフに羊を献げる余裕があるはずはなく、貧しい家の規定に従い、二羽の鳩を献げました。

救い主を産んだはずの夫婦でありながら、肩身の狭い思いをして神殿の入り口に立ったその時でした。見覚えのない、よぼよぼのおじいさんが近づき、「お子様を抱かせてください。」と頼みました。マリアはちょっと不安な気持ちになりましたが、老人の優しい目を見て安心したのか、赤ん坊のイエスを抱かせてあげました。

毎日のように神殿に来ては祈りをささげ、新生児を連れて来る若い夫婦がいると、つきまとうのはこの老人。エルサレムではかなりの有名人になっていて、名前はシメオンといいました。信仰に厚いばかりではなく、愛国心にも燃えていました。しかし、ローマの支配が強く、自分が生きている間にユダヤ人が解放されるはずがないと悟っていました。シメオンは、周囲にいる大人たちに失望し、新しく生まれて来る世代に心を留めていました。

赤ん坊のあどけない姿は、大人たちの心を和ませるばかりではありません。無限の可能性を秘めているので、人の心に希望を与えます。シメオンは毎日のように連れて来られる赤ん坊を見ながら、一つの祈りを捧げていました。「神様、どうかこの子供たちの中からユダヤ人を救うリーダーを起こしてください。」冬休みの前に、ヨハネの両親が「聖霊に満たされて」語り出した個所を読みましたが、このシメオンにも同じような現象が起きました。「神様から約束をもらった。わしは救い主を見ない内は死なない。」と言うようになりました。

この日、シメオンの心に不思議な高ぶりが起きました。マリアとヨセフの赤ん坊を見て「この子だ!」という直感が働きました。「もう死んでも良い!この子の姿に神様の救いを見た!」この話を東奥義塾にも当てはまります。私たち教員は、生徒一人ひとりを見ながら夢を抱いています。しかし、年齢が進むに従って、自分たちにできることに限界があることを悟っています。対照的に、ここにいる生徒たちを見て、自分たちにできなかったこと、もっとすごいことをやってくれると信じ、心の中で祈っています。シメオンと同じように。

Comments

Popular posts from this blog

2019年3月8日 終業礼拝 「心のメンテナンス」

2024年2月26日 礼拝説教 「同行してくださる神」

2023年7月10日 礼拝説教 「人の心を固くする神」