2020年6月8日 礼拝説教 「地獄絵図」
2020年6月8日 礼拝説教
「地獄絵図」
ルカによる福音書16章19~26節
19節
「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。
20節
この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、
21節
その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。
22節
やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。
23節
そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。
24節
そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』
25節
しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。
26節
そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』
斜陽館の近くに幼いころの太宰治がよく遊びに行った雲祥寺というお寺があります。ここには少年太宰に大きな衝撃を与えた地獄絵図があります。悪い事をすると閻魔大王に裁かれ、このような恐ろしい所に行かされると脅された子供たちには効果抜群だったようです。今日の聖書の箇所にも、同じような効果が期待できますが、陰府で苦しむ金持ちの罪は何一つ書かれていません。
正体を明かすヒントがストーリーに隠されていると言われていますが、お金が一銭もない陰府の国に行ってもただ、「金持ち」と呼ばれ、名前はありません。対照的に、できものだらけの貧しい人「ラザロ」には名前がちゃんと付いていて、特に立派なことをした訳でもないのに、死の世界ではユダヤ民族の父祖、アブラハムの傍に案内され、ご馳走の席に着かされます。
「いつも紫の衣や柔らかい麻布を着ていた」と書いてあるので、お金持ちはけた外れに裕福だったことがわかります。紫色の染物を作る染料が安く手に入るようになったのは、化学的な製造法が開発された19世紀の中ごろのことでした。それまで、地中海に生息する巻貝の一種を大量に捕獲し、紫色に変色する貝の分泌物を採集しなければなりませんでした。手間がかかる大変な仕事で、出来上がった染料はとても高価な物でした。紫色の衣を着るのは、王族や貴族並みの生活ができる人たちに限られていました。
先月お話ししたように、ルカによる福音書に登場する「金持ち」は、特に悪い事をしていなくても悪役にされ、大体不幸な目に合います。アブラハムは陰府にいる金持ちの罪をとがめることなく、諭すようにして言います。「子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。」
死んでから、生きていた時と正反対の境遇に遭うのは当たり前だと言っているように聞こえます。イエス様は、神の国がやってきて、裕福な人と貧しい人の立場が逆転すると教えましたが、これは死んでからも続くことだと伝えたかったようです。
脳に送られる血液の量が少し低下しただけで人は失神します。倒れると何の意識もなくなり、その記憶も残りません。心臓が停止して脳に送られる血液がゼロになるとどうでしょうか。火葬で焼かれる人は炎の中で苦しむでしょうか。何の意識もないと考えた方が理にかなっているでしょう。
京都アニメーション放火事件の犯人は病院から担架で運ばれて逮捕されましたが、死ねば逃げ切れると思い、逮捕前に命を絶つ人もいます。このような人たちは本当に逃げ切ったのでしょうか。それとも死んでから、喉が渇いたり、熱さに苦しんだりすることがあるでしょうか。
死の世界を見て来た人の報告を聞くことができないので、これは信仰の世界になりますが、キリスト教は復活の信仰です。どんな状況にも絶望することなく、勇気をもって進む姿勢を支えるのは復活の希望です。同じように、いくら時間がたっても、悪の報いを受けそうもなく、悠々と暮らしている人を見て気をもむ必要もありません。
人の生と死を握って正しく裁かれるお方がいます。そのことを信じて、都合の良いことがいつまでも続くと思って油断することなく、努力しても悪い事しか起きないと、自暴自棄になることもなく、気を引き締めて謙虚に生きるのが私たち人間に与えられた務めです。
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