2020年6月22日 礼拝説教 「躓く小さい者たち」


2020622日 礼拝説教
「躓く小さい者たち」

ルカによる福音書1716

1節                  イエスは弟子たちに言われた。「つまずきは避けられない。だが、それをもたらす者は不幸である。
2節                  そのような者は、これらの小さい者の一人をつまずかせるよりも、首にひき臼を懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がましである。
3節                  あなたがたも気をつけなさい。もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。
4節                  一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」
5節                  使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、
6節                  主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。

 イエス様が気に留めていた「これらの小さい者たち」はだれのことでしょうか。「子供」という解釈もできますが、周囲にいる大人たちを指していた可能性もあります。この箇所に登場する「小さい者たち」は躓きやすく、一度反省しても同じ過ちを繰り返し、信仰がとても弱いのが特徴でした。この人たちに対して、イエス様はとても優しい態度を取りました。イエス様の周囲にいる人たちの多くは社会的弱者で、立場の弱さを利用されやすい人たちだったことに配慮していたと思われます。

イエス様は躓いて罪を犯したこの人たちにではなく、罪を犯すように躓かせた、立場の強い人たちに憎しみの言葉を向けました。彼らの罰の重さは、「首にひき臼を懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がまし」と思えるほどだと言いました。近代になって、ひき臼は見かけなくなりましたが、牛や馬などが、粉をひくために回転させる、重さ数百キロもある巨大な石です。このような物を首にかけられて深い海に沈められる人の心境を考えると、この言葉の意味がよく分かると思います。つまり、イエス様は、人の弱さに付け込んで悪い事をさせたら「ひどい目に遭うぞ」と言っています。

 「一番悪い奴は罰を受けずに済む」という言葉をよく耳にします。違法行為で成り立つ暴力組織の幹部は逮捕を免れ、政治スキャンダルでとても怪しそうに見える大物政治家が罪に問われず、相手国の一般市民にいくら爆弾を落としても、強い国の軍の指導者は殺りくの責任を問われることはめったにありません。罪を負わされたり、自殺に追い込まれたりするのは、いつも末端にいる人たちです。

 もっと一般的なレベルで考えても、相手がお金に困っていたり、依存症に苦しんでいたり、知られたくない秘密があったりすることを上手く利用して、罪に陥れる人がいます。合意があっての行為でも、大人としての立場、知識や、経験を悪用して未成年を罪に引き込む人たちもいます。学校の教員である我々も、そのような危険性と隣り合わせにいるのはよくご存知のことだと思います。

 では、「小さい者たち」と呼ばれる、立場の弱い人たちに何と言えば良いのでしょうか。イエス様は「つまずきは避けられない」と言いました。躓かない方が良いに決まっているが、一度、躓いたくらいで何もかも終わったと思わないように励ましています。躓く以上に問題なのは、起き上がらないことです。反省が長く、悔いる思いが深いほど良いとは限りません。踏み外したと気が付いたら、即座に立ち直り、早く忘れた方が良い場合があります。

 「小さい者たち」のすぐそばにいる私たちは何をすれば良いのでしょうか。「仏の顔も三度」という諺がありますが、イエス様は反省の態度があるなら、同じ日に七回失敗した人をも赦せる、広い心を持つように教えています。限度を決めて「何回以上ならダメ」と言いがちな、教員である我々には耳の痛い話です。イエス様のこの言葉は、預けられた生徒の過ちに、とことん付き合うようにとの指示に聞こえてきます。

 最後は、目標とする、目に見えない物を信じる志の強さです。人間の志は所詮、とても弱い物です。しかし、周囲の協力と励ましさえあれば、直径0.5ミリしかない、からし種一粒ほどの信仰さえあれば、あり得ないと思ったことも起きるとイエス様は教えています。小さな弱い志でも良いので、育つように支え合いましょう。周囲に「小さい者たち」がたくさんいますが、自分も「小さい者」であることに気付くなら、今日読んだイエス様の教えを、最も効果的に適用できるのではないかと思います。

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