2019年12月2日 礼拝説教 「レスキュー隊に休業日はない」


2019122日礼拝説教
「レスキュー隊に休業日はない」

ルカによる福音書141節 ~ 6

1節              安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた。
2節              そのとき、イエスの前に水腫を患っている人がいた。
3節              そこで、イエスは律法の専門家たちやファリサイ派の人々に言われた。「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」
4節              彼らは黙っていた。すると、イエスは病人の手を取り、病気をいやしてお帰しになった。
5節              そして、言われた。「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」
6節              彼らは、これに対して答えることができなかった。

安息日の礼拝が終わり、会堂から出て来たイエス様は身分の高い方の家に招かれました。そこにはルカが「水腫」と呼んでいる病気を患っている人がいました。現代の医学用語で何の病気に当たるかは確実に言えませんが、「むくみ」の症状が重かったことがわかります。血液は動脈を通って体の末端に水分を運び、細胞に届いてから再び血液に吸収され、静脈を通って運ばれて行きます。この水分の行き来のバランスが崩れると、細胞の隙間に水が溜まり、体にむくみの症状が出ます。リンパ系が正常に機能しないなど、原因となる病気はいくつもありますが、体が不自由になり、ひどい痛みを伴うこともあります。その場にいたこの人も、同じような辛い思いをしていたと想像できます。

しかし、イエス様を招待した人たちはその人の辛さを気にしていた様子はありませんでした。病気を癒すことで有名なお方が来た。仲間が「水腫」で苦しんでいる。騙されたつもりで頼んでみようか。そう思ってもよさそう状況だったのに、ナザレのイエスを陥れることに気を取られていた彼らはそこまで考える余裕はありませんでした。

仲間の苦しみは二の次で、集まった人たちの非難の目はイエス様の一挙手一投足に注がれていました。ここで癒しの業が起きたら、イエス様が安息日の掟を破った証拠をつかむことがでると期待していました。「水腫」を患っていた人はもしかしたら仲間ではなく、イエス様を罠に誘い込む、おとりとして連れて来られた人に過ぎなかったかもしれません。

一月半くらい前の礼拝で似たような話がありました。イエス様は安息日に病気の人と出会い、非難されることを覚悟して癒しました。ルカはしつこいとほどにこのテーマにこだわりました。同じようなことが何度も起きたかもしれませんが、マタイとマルコはその内の一つしか記載していません。ルカはほぼ同じ内容の話を三回も取り上げています。

ユダヤ人は週の七日目に仕事をしないことを民族のアイデンティティーにしていました。この日に労働をするとユダヤ人社会から村八分にされました。しかし、イエス様がやっていることが労働に当たるかどうかにそもそも、疑問符が付いていました。当時、活動していた病気を癒すとされていた祈祷師たちと違って、イエス様とその弟子たちは無報酬で病人を癒し、神の国が近づいたことを言い広めていました。イエス様の癒しは商売ではなく、罪とその結果に苦しむ人類に、神の恵みが届いたことの表れとして行われていました。

人間社会は決して公平なものではありません。人間には群れを成すほかの動物と同じように、ヒエラルキーを作り、ある人をもてはやし、別の人を貶める本能のようなものがあります。優位に立つものがつまらない事を言っても皆が楽しそうに笑い、多少ははみ出た行動を取っても許されます。その一方、不利な立場に追いやられた人は何を言っても冷たい視線を向けられ、些細なミスも見逃されることなく、非難の嵐にさらされます。納得の行く理由からこのようになる場合もあれば、単なる群集心理に流されてそうなることもあります。

イエス様は周囲の鋭い目を気にすることなく、本当に大事なのは何かと訴えてから毅然と行動しました。「水腫」を患う人は癒され、反対者は何も言うことができませんでした。人は社会の一員として生きなければなりませんが、周囲の評価を無条件に受け入れる必要はありません。心の中で何が正しいかを確信しているなら、人の視線を気にすることなく、淡々と前に進めば良いのです。神様の祝福に守られ、いずれは周囲の評価も変わることでしょう。

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