2019年12月16日 礼拝説教 「上座、下座とサンタクロース」


20191216日礼拝説教
「上座、下座とサンタクロース」

ルカによる福音書147節 ~ 14

7節                  イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、彼らにたとえを話された。
8節                  「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。あなたよりも身分の高い人が招かれており、
9節                  あなたやその人を招いた人が来て、『この方に席を譲ってください』と言うかもしれない。そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。
10節             招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。
11節             だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。
12節             イエスは招いてくれた人にも言われた。「昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。
13節             宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。
14節             そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」

 床の間の前が上座で、自分から進んで座らないのは日本社会の常識です。しかし、皆が遠慮していると上座がなかなか埋まりません。私は以前、このしきたりを知らないで、床の間の前が空いていたので、そこに座れば良いと思って恥をかいたことがあります。今は皆と一緒に上座を避けて座ろうとするようになりましたが、イエス様が目撃したのはその逆の光景でした。前回のお話と同じ場所で起きたことですが、身分の高いファリサイ派の人の招待客は、上座と決まっていた家の主人の近くにある席に座ろうと競っていました。

現代の日本人に比べると、当時のイスラエル人がとても幼稚だったという印象を受けます。上座を争うことを諫めるイエス様のこの教えは、現代の日本には不必要だと思うかもしれません。「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」は、遠慮することを大事にする日本人の間では常識化した知恵であり、聖書を読まなくても皆がわかっていることです。

 しかし、イエス様の次の教えはどこの国に行っても違和感を持つ人が多いと思います。「昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。」飲み食いするなら声をかけたいのは話が合う人、場を盛り上げてくれる人、立場や身分が近い人、仲良くしたい人です。敢えて会話がはずまない人、暗い人、共通点のない人、付き合う気になれない人は呼びません。しかし、イエス様は「貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。」と言いました。

 社会福祉も就職支援もない時代です。一般的にこのような人たちは乞食をして生活していました。衣服は擦り切れて汚れ、入浴できないので匂いがしました。行儀が悪く、お腹をすかせているので貪るようにして食べました。しかし、イエス様は約束しました。「その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」

 クリスマスを家族や仲間たちと一緒にお祝いして楽しむのは間違いではありません。与えられた友情や、家庭の温かみを大事にして共に時間を過ごすのは人生の豊かさを味わうには欠かせないものです。しかし、クリスマス・プレゼントを贈る習慣はもそもそも、お返しをする術がない、貧しい人たちに施しをする活動から始まったことを心に留める必要があります。

 サンタクロースの原型と言われているのは紀元300年前後、現在のトルコの南海岸の町、ミラで活躍した聖ニコラオスという人物です。秘かに貧しい家庭の子供たちに施しをしていた方ですが、オランダ語ではシンタクラースと呼ばれ、11月中旬から12月の初旬に、オランダとベルギーのお祭りに登場します。アメリカに渡ったオランダ系移民がこの習慣を続け、子供たちにプレゼントをくれるサンタクロースに発展したと言われています。

 クリスマスは、貧しい人や病気の人のために、すべてを出し尽くしておきながら、見返りに十字架の刑以外に何ももらえなかったナザレのイエスの誕生を祝う日です。先日、同じような死に方をした方がいました。射殺されたペシャワール会の中村哲さんの死を悲劇として受け止めながら、ご本人が覚悟を決め、その結末に納得していたと私は思いたいです。中村さんもイエス様と同じ思いに駆られてアフガニスタンの方々に仕えてきた方だったからです。

最後にイエス様の言葉をもう一度読みましょう。「その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」

Comments

Popular posts from this blog

2019年3月8日 終業礼拝 「心のメンテナンス」

2021年11月22日 礼拝説教 「信仰を支える仲間」

2023年7月10日 礼拝説教 「人の心を固くする神」