2019年11月11日 礼拝説教 「直径0.5ミリからの始まり」


20191111日礼拝説教
「直径0.5ミリからの始まり」

ルカによる福音書1318節 ~ 21

18節             そこで、イエスは言われた。「神の国は何に似ているか。何にたとえようか。
19節             それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。」
20節             また言われた。「神の国を何にたとえようか。
21節             パン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」

  
 お祭りの屋台でよく売れるフランクフルト。トマトソースやマスタードを付けて食べると美味しいですが、マスタードの原料になるのはからし種です。厳密に言うと、からし菜は一年草で、木ではありません。イエス様がこの例えに用いたのは、地中海沿岸に生息するクロガラシではないかと言われています。草丈が2メーターを超え、条件が良ければ6メーター以上にも伸びるこの植物の大きさに比べると、種は直径0.5ミリしかなく、とても小さなものです。

 パン種はイースト菌を含む、一握りのパン生地のことです。それに比べると、四十リッターにもなる、三サトンの小麦粉は、一人の女性が料理に使うにはあまりにも大きな量です。しかし、一握りのパン種さえあれば、小麦粉の全体が膨らみ、それでパンを焼けば大勢の人たちに振る舞うことができます。パン種はからし種に並んで、小さな始まりが、けた違いに大きな結果を生む物の例えになっています。イエス様によると、これが神の国です。その働きは組織を持たない、無学な、少人数の、力が弱い、みすぼらしい人たちから始まります。

新約聖書時代に大手をふるったローマ帝国の文化は弱者を蔑みました。戦に負けない、強い者を敬い、戦争に負けた国の市民は、虐殺に合わなければ奴隷として売られるのを当然に思いました。力ある男性はおとがめなしに立場の弱い女性に手を出し、その結果、生まれた子供が放置され、死に追いやられることを何とも思いませんでした。都市部で伝染病が猛威を振るうと、健康で裕福な人たちは病人を捨てて田舎にある別荘に逃げました。

 このような時代に生きる初代のクリスチャンたちは、病気になった人たちを献身的に介護し、捨てられた子供を拾って育て、貧しい人たちに食料を分け与えました。十字架に付けられて処刑された人が救い主だと信じ、無抵抗主義を貫いた彼らは、何よりも強さに憧れるローマ帝国の主流派に軽蔑されましたが、イエス様に祈る彼らのおかげで命拾いした人たちは、彼らの神に感謝をささげ、彼らの仲間の数は爆発的に増え続けました。

 紀元200年頃、災害がある度に犯人に仕立て上げられるクリスチャンたちが各地にある円形劇場で、市民の娯楽の一環として猛獣の餌食にされていました。それに抗議したチュニジアの神学者テルトゥリアヌスは当局につぎのように訴えました。「いかにあなたがたの残酷さがより手の込んだものになったとしても、それはむしろ、われわれの宗教の魅力になっている。あなたがたがわれわれを刈り取れば、その都度、われわれの信者は倍増する。われわれの歴史は昨日から始まったかのように短いが、あなたがたのどの市町村にも我々の仲間がいる。市場にも、軍隊にも、議会にも、宮殿にもいる。いないのはあなた方の神々が祭られてある神殿だけだ。」

中国伝道の代表的な宣教師、ハドソン・テーラーは言いました。「必要なのは偉大な信仰者ではなく、偉大な神を信じるただ人だ。」神様がついていれば、一人さえいれば多数に勝てます。からし種のように小さな私たちかもしれませんが、「人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。」持っている力が小さくても、純真でまっすぐな信仰を抱いて進むなら、何につながるか分かりません。神の国の業が動き出すのはそこからです。

Comments

Popular posts from this blog

2019年3月8日 終業礼拝 「心のメンテナンス」

2021年11月22日 礼拝説教 「信仰を支える仲間」

2023年7月10日 礼拝説教 「人の心を固くする神」