2019年7月3日 礼拝説教 「小さな群れよ」

20197月3日礼拝説教
「小さな群れよ」

ルカによる福音書1229節 ~ 34節 

29節             あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。
30節             それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。
31節             ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。
32節             小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。
33節             自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。
34節             あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」

 実行不可能のものが多いと言われるのはイエス様の教えです。その中でも特に厳しいのは今日の、「自分の持ち物を売り払って施しなさい。」という言葉です。すっかんぴんになるまで、施しをして貧しい人に与えなさいという指示です。キリスト教徒の多くはこの精神に従って生きようとしますが、完全に実行できているのはそのごく一部です。家族を養うことが多い、プロテスタントの牧師のほとんどは、いくらかの財産を持っています。

 人間社会では、原則として国家が国民の財産を保証します。しかし、歴史の転換点に差し掛かると、それまで個人の権利を守っていた国家が崩壊し、地位も財産もすべて振り出しに戻ることがあります。明治時代の初めに武士階級は藩士としての地位と収入を失いました。戦後まもなく、タダ同然で小作人に農地を譲ることになった地主も、次々と没落していきました。前世紀のロシアや中国の革命では、極端なまでに財産の再配分が行われ、雇い主と従業員の立場が逆転しました。

今日の聖書の箇所で、イエス様は当時の体制が崩壊することを前提に話していますが、その時から四十年、正にその通りになりました。首都エルサレムが姿も形もないほど完全に破壊され、ユダヤ人はイスラエルの地から追放されました。それを見込んでイエス様は言いました。「今の世の中に投資するのを止めなさい。現体制がいつまでも続くと思っている人たちが欲しがる物を欲しがってはならない。もうじき、住んでいる家が他人に取られ、持っているお札が紙切れ同然なるから、目に見えない物に力を注ぎなさい。そうすれば、世の中がどうなっても、衣食住に困ることはない。」

持ち物も学歴もない、イエス様の弟子たちは一見、当時の誰よりも立場が危うい、弱者の集団に見えました。しかし、彼らに約束されたのは、すべてのユダヤ人が理想とする夢の国の実現でした。すぐにでも、猛獣の餌食にされそうな、小さな羊の群れに例えてイエス様は彼らに言いました。「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」

この言葉を聞いた弟子たちはイエス様が支配者になり、自分たちがその側近になる新しい世の中を期待していました。その後まもなく、目に見えない、今の東奥義塾にもつながる、全く新しい歴史の流れが始まりました。しかし、弟子たちが期待していた、目に見える地位や財産は手に入りませんでした。彼らが何を得たのでしょうか。それは後にパウロが「何も持っていないようで、すべての物を持っている」と表現した、目に見えないものでした。

教会の牧師に「神の国とは何か」と尋ねたら、牧師の数ほど答えが返って来ると思います。神学の世界で、主流になっている解釈はいくつもありませんが、一人一人が思い描いている理想に、様々な違いがあります。イエス様は「世の異邦人が切に求めているもの」、つまり「誰もが持つ欲望や、世の中の流行りに振り回されるな。」と教えました。その正反対の方向にあるのが「神の国」だと考えたからです。

 東奥義塾での三年間は、自分が求めるべき「神の国」を発見する機会として皆様に与えられている貴重な時間です。完全な回答を得て卒業することはないかもしれません。しかし、周囲の人たちに理解されなくても、大事に持ち続けるべき、何かが見えてくるのを期待しても良いはずです。例年と違ってこの時期に迎えることになった最初の定期試験も、周囲の雑音から離れ、静かに自分の心に問いかる良い機会になると思います。一人一人に良い答えが与えられるように祈りましょう。

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