2019年4月22日 礼拝説教 「済んだ目で見る」


2019422日礼拝説教
「澄んだ目で見る」

ルカによる福音書1133節 ~ 36節 

33節          ともし火をともして、それを穴蔵の中や、升の下に置く者はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。
34節          あなたの体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、体も暗い。
35節          だから、あなたの中にある光が消えていないか調べなさい。
36節          あなたの全身が明るく、少しも暗いところがなければ、ちょうど、ともし火がその輝きであなたを照らすときのように、全身は輝いている。

 儀式や知識を秘密扱いにする宗教を秘儀とか密教と言います。イエス様の時代に、中東からヨーロッパにかけてこのような宗教がいくつも流行っていました。入信しないと知ることができない世界があり、信徒たちが秘密を守らないと、儀式の効果や教えの有難みが失わると信じられていました。今年行われる、天皇陛下の即位に伴う儀式や、誰も見てはいけない三種の神器にもこのような要素が見られますが、イエス様はこのような信仰を、穴蔵の中や、升の下に明かりを置くようなことだと言いました。人を幸せにする真実の光なら、誰にでも見える場所に立て、すべての人がその恩恵を受けられるようにしなさい。」と教えました。

 暗ければ隠れる物も、光に照らされたら明るみに出ます。ネオンサインが灯る世界は朝日に照らされると魅力を失い、その薄汚い正体がバレてしまいます。秘密が暴露されるのを覚悟しないと光に近づくことはできません。しかし、聖書は私たちに、「光の中を歩みなさい。」と教えています。人に弱さや過ちを見られることになるかもしれませんが、隠し事なく真実を生きるなら、身の丈にあった生活ができます。恰好はよくないかもしれませんが、嘘は人を弱くし、真実は人に力を与えます。ごまかしを止めると、しばらくは不利に見えても、最後に勝つのは本物であり、偽物ではありません。

 「目が澄んでいれば全身が明るい。濁っていれば暗い。あなたの中にある光が消えていないか調べなさい。」ここでイエス様は光を放つともし火から、光を受信する目に話題を変えています。目がなく、嗅覚や触覚を頼りに生きている動物もいますが、このような生き物はブラックホールの観測はもちろんのこと、夜空を見上げて月や星の存在を確認することもできません。人に目がなければ、光の存在に気付くこともなかったです。

 しかし、イエス様が「全身を暗くする濁った目」と言うと、視力の話をしているのではありません。視力が正常でも、目を濁らせる心の状態があります。ユーチューブのようサイトを見ると、背景にあるシステムが、視聴者の好みに合う動画を次々と紹介する仕組みになっています。人には同じような気持ちを持つ人の投稿に反応する習性があるので、いつの間にか自分の感情を肯定する動画しか見なくなり、偏見や憎しみはますます強くなります。

このようにして、ISのようなテロ集団に吸い込まれた若者が多くいましたが、大なり小なり、ネットを利用する人は皆、バランスの取れた意見を聞かなくなり、偏った考えに陥る危険性があります。書物を読む人なら大丈夫とも言えません。書店に入ると、嫌いな国が間もなく不幸になることを予想し、自分たちの民族がすばらしく、相手の国が劣っていると主張する本が書棚にぎっしりと並んでいます。読者はネットのユーザーと同じように、自分の気持ちに一番近い意見を書いている著者の作品に惹かれます。人の目は濁り、真実が見えなくなります。

日常生活の中で人の目を濁らせる、最も危険なものは下心です。お金や地位が絡むと一目瞭然の真実が見えなくなります。自分や家族の利益が絡むと、冷静な判断ができる人の口から根拠のない言葉が飛び出します。好き嫌いの感情が激しいと、相手の善し悪しについて正しい判断ができなくなります。「あなたの全身が明るく、少しも暗いところがなければ、ちょうど、ともし火がその輝きであなたを照らすときのように、全身は輝いている。」濁った目ではなく、澄んだ目から世の中を見ることができるように祈りましょう。

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