2019年4月15日 礼拝説教 「ヨナのしるし」


2019415日礼拝説教
「ヨナのしるし」

ルカによる福音書1129節 ~ 32節 

29節             群衆の数がますます増えてきたので、イエスは話し始められた。「今の時代の者たちはよこしまだ。しるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。
30節             つまり、ヨナがニネベの人々に対してしるしとなったように、人の子も今の時代の者たちに対してしるしとなる。
31節             南の国の女王は、裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである。ここに、ソロモンにまさるものがある。
32節             また、ニネベの人々は裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここに、ヨナにまさるものがある。」


「南の国の女王」とか「ヨナ」と聞いても、誰のことかと思うでしょうが、ユダヤ人の間では「一寸法師」や「かぐや姫」並みに有名な旧約聖書物語の登場人物のことです。「南の国の女王」はイスラエルのソロモン王の教えを聞きに、アラビア半島の南端からやってきた、シェバの女王のことです。ヨナはちょっと滑稽なキャラで、神様からアッシリア帝国の都、ニネベに行くように命じられた預言者のことです。ニネベの人たちの残虐さは有名で、ヨナは恐ろしさのあまり、地中海の反対側に向かう船に乗り込んで逃げようとします。途中で嵐に合い、海に投げ込まれるヨナは大きな魚に飲み込まれ、生きたまま陸地に吐き出されます。

こうなるとニネベに行くしかないと覚悟をするヨナは三日間、ニネベの住民に向かって「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。」と叫びます。聞き入れてもらえると思わないヨナは、預言の言葉通りに都が滅びるのを期待しますが、意外なことにニネベの住民はヨナの言葉に感動し、王様を筆頭に皆で懺悔を始めます。それを見て神様はニネベを滅ぼす計画を撤回しますが、神様の優しさを不満に思うヨナは怒りをあらわにし、ヨナを諭してなだめる神様の言葉で物語が終わります。

今日の聖書の箇所に話を戻しますが、以前のイエス様は押し寄せる群衆を見て、「飼い主のいない羊のように弱り果て、深く憐れまれた。」と書いています。いくら疲れていても、苦しむ人の求めに応じて対応するのがイエス様の生き方でした。しかし、この日、取り囲む群衆がますます増えて行くのを見たイエス様は不愉快になりました。以前のように、真剣に助けと教えを求めに来た人たちではなく、そのほとんどが、珍しい物見たさでやって来た野次馬だったからです。手品をせがむように奇跡を求める群衆に対して、イエス様はサービスをするつもりは少しもありませんでした。

砂漠を超えて長い旅をしてまで真理を求め、ソロモン王の教えを聞きに来た南の国の女王は、この人たちを見たら何と言うだろうか。ソロモン王と比較にならないほど優れたお方がすぐそばいるのに、教えに耳を傾けようともせず、ただ、「何か面白いことない?」と尋ね合う彼らを叱り飛ばすに違いない。所詮はドジな預言者に過ぎない、ヨナの訴えを聞いて生活を改めたニネベの人たちはどうだろうか。彼らも、奇跡を行うイエス様を目の当たりにしながら、面白がるだけで、生活を少しも変えようとしないこの群衆の罪を指摘するはずだ。

この時イエス様は、福音書の完結になる、十字架と復活を予期させる不思議なことを言います。魚に飲み込まれながら、生きたまま吐き出され、ニネベの人たちへのしるしとなったヨナのように、自分もこの時代の人たちへのしるしになる。つまり、どんな奇跡よりも、イエス様の来るべき死と復活が、人類への最大のメッセージになるという予告をしたのだろうと思います。

今年度の学びは始まったばかりですが、これから一年間、次から次へと気を紛らわすものを求め、その日の気分で関心の対象を変える群衆に振り回される人間になりますか。それとも価値のある物から目を離さない、前進を妨げる物を切り捨て、日々成長する人間になりますか。一年の過ごし方は春のこの時期に決まります。暇つぶしに奔走する生き方を止めましょう。限られた時間を賢く管理しましょう。来年の三月、振り返って見て満足できる一年になるように心がけましょう。

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