2018年5月28日 礼拝説教 「あなたがたが食べる物を与えなさい」
2018年5月28日礼拝説教
「あなたがたが食べる物を与えなさい」
ルカによる福音書9章10節~17節
11節
群衆はそのことを知ってイエスの後を追った。イエスはこの人々を迎え、神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた。
12節
日が傾きかけたので、十二人はそばに来てイエスに言った。「群衆を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう。わたしたちはこんな人里離れた所にいるのです。」
13節
しかし、イエスは言われた。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」彼らは言った。「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません、このすべての人々のために、わたしたちが食べ物を買いに行かないかぎり。」
14節
というのは、男が五千人ほどいたからである。イエスは弟子たちに、「人々を五十人ぐらいずつ組にして座らせなさい」と言われた。
15節
弟子たちは、そのようにして皆を座らせた。
16節
すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。
17節
すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二籠もあった。
イエス様の弟子たちは修行とも言える、伝道実習から帰って来ましたが、休息を取り、情報交換をして次の戦略を立てる必要がありました。この時の様子を詳しく伝えているマルコの福音書によると、食事をする暇もないほど、人の出入りが激しく、イエス様は「さあ、あなた方だけで、しばらく休むが良い」と言いました。それから、人里離れたところ、つまり、民家のない、山奥のような場所に向かいました。
しかし、彼らの動きを見逃さなかった人たちが大勢いて、数千人単位の群衆が付いて来ました。「ついて来るな。これからは、私たちのプライベートの時間だ。」弟子たちは心の中でそのようにつぶやきながら見ていたのでしょうが、イエス様は「大勢の群衆を見て、飼い主のない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められました。」これもマルコによる福音書に書かれている事です。
東奥義塾の教職員の勤務時間は何時から何時までだと思いますか。正式には、週五日間、八時間勤務で、昼休み中も生徒の指導をするので、4時35分になったら帰宅できます。土・日は学校に来る義務がなく、時間外手当があっても、スズメの涙しか出ません。それにも関わらず、どんな時に学校に来ても、昼夜問わず、曜日も関係なく、生徒の指導に当たったり、授業の準備をしたり、学校に関わる様々な仕事に取り組んでいる教職員の姿が必ず目に入ります。
教職員の方々は「これからは、私のプライベートの時間だからもう来るな。」とは生徒に言いません。聖書の言葉を少し言い直して「大勢の生徒を見て、飼い主のない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。」と言えば、普段の東奥義塾の光景が目に浮かんでくるような気もします。しかし、一般的に、教職員が自腹を切って、生徒にご飯を食べさせるところまでは行かいはずです。
「早く終わらないかな」と思いながら眺めている内に、弟子たちは日が暮れそうになったことに、イエス様の注意を向けました。「もう、夕食の時間が近づきました。皆を早く帰しましょう。」無理のない提案をしたつもりの弟子たちは、イエス様の返事を聞いて耳を疑いました。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」「エッ!イエス様、頼みますよ。集まっているのは数千人で、今はパン5個と魚2匹しかありません。私たちに何ができると言うのですか。」
弟子たちは二つの、ごく当たり前の考えを持っていました。まずは、「勝手に付いて来た人たちだから、お腹をすかしても私たちの知ったことではない。」それから、「私たちには、この問題を解決する能力がないので、何もしなくても良い。」イエス様はこの極めて常識的な考えを、両方ともきっぱりと否定しました。「責任逃れはダメ。これもあなた方の責任。まずは、できることやりなさい。」次に起きたことが、あまりにも不思議だったので、イエス様の物語を書いた四人の福音書記者は全員、この出来事を載せています。
話の真相は何だと思いますか。解釈の仕方は色々あると思いますが、皆、同じところに行きつきます。第一に、問題を解決する責任が、他者にではなく、自分にあることを認識しなさい。第二に、お金も体力も能力も足りないとわかっていても、まずはあるものを活用して行動を起こしなさい。第三に、神様の力を信じて祈りなさい。この三つの要素が重なると、何が起きても不思議ではありません。
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