2018年5月22日 礼拝説教 「みすぼらしい恰好の全権大使」

2018522日礼拝説教
「みすぼらしい恰好の全権大使」

ルカによる福音書91節~9

1節                  イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった。
2節                  そして、神の国を宣べ伝え、病人をいやすために遣わすにあたり、
3節                  次のように言われた。「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も二枚は持ってはならない。
4節                  どこかの家に入ったら、そこにとどまって、その家から旅立ちなさい。
5節                  だれもあなたがたを迎え入れないなら、その町を出ていくとき、彼らへの証しとして足についた埃を払い落としなさい。」
6節                  十二人は出かけて行き、村から村へと巡り歩きながら、至るところで福音を告げ知らせ、病気をいやした。
7節                  ところで、領主ヘロデは、これらの出来事をすべて聞いて戸惑った。というのは、イエスについて、「ヨハネが死者の中から生き返ったのだ」と言う人もいれば、
8節                  「エリヤが現れたのだ」と言う人もいて、更に、「だれか昔の預言者が生き返ったのだ」と言う人もいたからである。
9節                  しかし、ヘロデは言った。「ヨハネなら、わたしが首をはねた。いったい、何者だろう。耳に入ってくるこんなうわさの主は。」そして、イエスに会ってみたいと思った。

 東奥義塾を代表して出かけることがありますが、そのような時、外見的な恰好を、多少は気にします。着ている服、履いている靴、乗っている車など、安物ばかりではありますが、学校のお得意様に失礼のないように、ある程度は良い恰好をしようとします。対象的に、ハイテク産業のメッカ、シリコンバレーで、スーツの着用は実力のない人間の象徴だと思われ、会社役員もジーパンとTシャツ姿で出勤し、極端にキャジュアルな恰好を誇りにします。
  
これはかなり特殊な例だと思いますが、イエス様に派遣された弟子たちの恰好は更にみすぼらしく、マタイによる福音書によると、靴も履かせてもらえませんでした。しかし、財布も、お弁当もなく、着替えも下着一枚までと決められ、極限まで心細い思いをさせられた彼らは、大旋風を巻き起こしました。

外見的に惨めとしか言い様のないのに、彼らが持つ、悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力に疑いを挟む余地がなく、その結果、イエス様の先輩、バプテスマのヨハネの首をはねた、お殿様のヘロデはすっかり困惑してしまいました。やっかいな奴を葬り去ったと思ったら、コピーのような人間が活動を始め、そのまたコピーが何人も動き回っている。この報告を受けたヘロデは後ろめたさと、ヨハネの怨霊を恐れる恐怖に悩まされました。

私が最初に東奥義塾に勤めた頃、塾長の村谷先生は生徒によく、「君たちは東奥義塾の全権大使だ」という話をしました。「全権大使」は、国を代表して他の国との条約に調印する資格を持つ、最高レベルの外交官を指して使う言葉です。

東奥義塾の制服を着ているから、学校の恥になるようなことをするな、という程度の話をするには、ちょっと大げさな表現だと思って聞いていましたが、しばらくしてから、この言葉は再興した東奥義塾の初代塾長、笹森順三先生がよく使う言葉だったことを知りました。更に、笹森塾長の伝記を読むと、この言葉の本当の意味が分かりました。

戦前の東奥義塾の入試は今とはかなり違うものでした。不合格になると仮入学させ、合格できるまで勉強を教える制度がありました。更に、在校生を地域の学校に派遣し、面接試験をさせることがありました。東奥義塾に入学するのに相応しい生徒なのか、東奥義塾の生徒が自ら面接官になって決めました。その任務を与えられた生徒は、誇らしげな気持ちで出かけたと思いますが、責任の重さに、ひどく緊張したことだろうと思います。笹森塾長は自分の教育によほどの自信があったからか、東奥義塾の生徒を全面的に信用し、卒業もしていない彼らに大きな権限を託して送り出しました。

 この学校は大学に入るための予備校ではありません。もちろん、進学を希望する生徒が大学に進み、そこで更に大きな力を身に着けることを願っています。しかし、東奥義塾の教育は三年間でひとまず完成します。皆様は、この校舎内で授かった、他の学校の卒業生にはない、特別な力を内側に秘めて世の中に出ることになります。客観的に見て、他の人と何も変わらない、時には劣っている存在だと思うかもしれません。しかし、東奥義塾を体験した人は、自分の幸せを中心に据える人生が、虚しさに終わることを知っています。人の苦しみを軽減させ、出会った人たちを笑顔にさせるのが自分の宿命だという思いが、今ここにいる皆様の間でも、すでに芽生えています。

 「十二人は出かけて行き、村から村へと巡り歩きながら、至るところで福音を告げ知らせ、病気をいやした。」アッという間に、自分の番になります。東奥義塾で過ごす日々が終わり、この礼拝堂と最後の別れを告げる日がやって来ます。その時、何の力も授かっていない自分に気が付くことのないように、意識を高め、日々の学びに真剣に向き合いながら、ここにいる三年間を過ごしてください。

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