2017年11月6日 礼拝説教 「最も過激な教え」

2017116日礼拝説教
「最も過激な教え」

ルカによる福音書627節~31

27節             「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。
28節             悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。
29節             あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。
30節             求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。
31節             人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。

「奴にいやしめられた。けなされた。馬鹿にされた。傷ついた。
 そんな奴に勝つ方法はただ一つ、十字架の愛しかない。
 心の底から傷ついた。打ちのめされた。
 自分を見たら情けなくて眠れなった。
 そんな自分に勝つ方法はただ一つ、十字架の愛しかない。
 裏切り、罵られ、鞭打たれ、十字架につけられてまで、
 私のために死なれた御方は、奴のためにも死なれたのだから。
 十字架の窓から世の中覗いたら、すべて愛で贖われている。
 命をかけて奴を愛します。祝福の祈りをもって。
 世に勝つ最大の武器は愛。十字架の愛しかない。
 世に勝つ最大の武器は愛。十字架の愛しかない。」

これは先月の23日の礼拝で歌ってくださった、三上勝久さんの歌詞の一つです。今から十七、八年前、髪が黒くて、今よりかなり恰幅の良い三上さんが東奥義塾にやって来て、今読み上げた歌詞の歌を歌ってくれました。会社を立ち上げようとした時の体験に基づいて書いたと言っていました。以前勤めていた会社が倒産した時、これからも必ず応援してやると言って励ましてくれた人たちが多くいました。しかし、いざ、自分の会社を作ろうとした時、その同じ人たちが、倒産した会社の元職員との取引はやめた方が良いと周囲の人たちに言われ、全く相手にしてくれなかったそうです。

その時の悔しさを乗り越えるために、大きな力になったのは今日の聖書の言葉、「敵を愛しなさい。」だったそうです。裏切って敵に回った人をどうすれば良いのでしょうか。倍返しにして困らせ、踏みにじればその人に勝ったことになるのでしょうか。歴史の教訓の一つは、どんな理由があっても、打ちのめされた人は、いずれはまた立ち上がって仕返しにやって来るということです。力でねじ伏せた相手には本当の意味で勝ったとは言えません。本当に勝ったと言えるのは相手の心を奪い、相手に認められ、尊敬を受けるようになった時であり、三上さんの歌詞にあるように、それを実現させる最大の武器はイエス様が説いた愛です。

先週の「貧しい人々は幸いである。」に違和感があったら、今日の、「敵を愛しなさい。」で、頭の中のメーターの針が完全に振り切れているかもしれません。「普通にすごい。」や「小さな大冒険。」のような表現を「矛盾語法」と言います。しかし、「愛している敵」と言えば、矛盾語法を飛び越え、言葉が完全に壊れていると感じる人が多いと思います。

この言葉が語られたのは、敵に優しい言葉を向けるのが全く流行らない時代のことでした。侵略者として国を奪ったローマ人を愛せと言うのは、裏切り者として罵声を浴びる結果しか生みませんでした。イエス様が生きた時代に続いて、ローマ人に協力するユダヤ人へのテロ行為から、本格的な独立戦争に発展して行く時代が始まりました。その結果、ユダヤ人の都エルサレムと、そこにある神殿は完全に破壊され、大勢のユダヤ人が戦争捕虜になり、外国に連れて行かれ、奴隷として売られました。


その一方、敵を愛するように教え、「彼らをお赦し下さい」と祈って十字架に付けられたイエス様の弟子たちはその後、一貫して彼らを憎む人に親切にし、悪口を言う人に祝福を祈り、侮辱する人のために祈りました。その結果、300年はかかりましたが、一人の命をも奪うことなく、ローマ帝国を征服したのは彼らの方でした。世界史を学ぶと、政権を握ってイエス様の教えから離れたキリスト教徒の行いに恥ずべきことがたくさんあったことがわかります。しかし、イエス様の初代の弟子たちは「最大の武器は愛」であること信じて、身をもってその事を証明しました。

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