2017年12月11日 礼拝説教 「もう泣かなくても良い」

20171211日礼拝説教
「もう泣かなくても良い」

ルカによる福音書711節~17

11節             それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。
12節             イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。
13節             主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。
14節             そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。
15節             すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。
16節             人々は皆恐れを抱き、神を賛美して、「大預言者が我々の間に現れた」と言い、また、「神はその民を心にかけてくださった」と言った。
17節             イエスについてのこの話は、ユダヤの全土と周りの地方一帯に広まった。

 言葉で表現できないほど、辛くて悲しい体験をした人に会う時、何と言えば良いのでしょうか。「大変だったね!」とか「辛い気持ちはよく分かるよ!」とか、ありきたりのことを言うと、相手の機嫌を損なうことさえあります。「大変だった?気持ちが分かる?大変どころじゃないわよ!こんな辛い気持ち、あんたなんかに分かるか!」このように、不快な気持ちを言葉にしてはっきりぶつけてくる人もいれば、態度だけで表現する人もいます。しばしば、静かに、黙ってお辞儀するか、親しい相手なら、何も言わないでギュッと抱きしめた方が良い場合があります。

 ガリラヤ湖の畔にあるカファルナウム村で起きた百人隊長との一件の直後、イエス様は湖を離れ、少し内陸にある、故郷のナザレの南方にあるナインという町に向かいました。弟子たちも一緒でしたが、相当数の「おっかけ」もいて、にぎやかな集団となって移動していました。ナインの町の入り口に差し掛かったところ、全く違った雰囲気の集団とばったり出会いました。町の外にある墓地に遺体を運ぼうとする、お葬式の行列でした。片方は復活の命と、活気に満ちたイエス様の一行。他方は死の悲しみに打ちひしがれた、死者を弔う人たちの一行。

 遺族は一人しかいませんでした。亡くなった方の母親で、夫にも先立たれた方でした。女性に働き口がなく、社会福祉制度がない時代でした。こうなると、乞食同然の生活を覚悟しなければなりませんでした。この女性に一つだけの希望がありました。たった一人の息子がいました。この息子さえそばにいてくれたら生きて行けると思っていました。しかし、むごいことに、この息子も死んでしまいました。一層、自分も死んだ方が良いと思うほど絶望的な境遇でした。

 このような方に何と言葉をかけたら良いのでしょうか。イエス様なら、よほど気の利いた、優しい言葉をかけたと思うでしょう。しかし、実際はただ、「もう泣かなくても良い」の一言でした。相手が膝をすりむいて泣いている子供ならわかります。しかし、極度に絶望的で悲惨な目にあったこのご婦人に向ける言葉として、あまりにも冷たい響きがしませんか。

 多分、ここにいる、ほとんどの生徒は火葬場に向かう遺族の一行に参加したことがあると思います。諦めがついているからこそ、少し前まで生きていた家族の遺体を火に任せ、骨になる過程を静かに見守ったことでしょう。火葬直前にお棺に向かって、「〇〇さんよ、あなたに言う。起きなさい。」なんて言う人はだれもいなかったはずです。しかし、イエス様の次の行動は、正にそのようなものでした。四つの福音書のなかでこの話を載せているのはルカだけです。目撃した弟子たちも目と耳を疑い、それからの出来事を十分に飲み込めないまま記憶の片隅にしまい込み、あまり話題にしなかったのでしょうか。

 このような話が信じられるか、信じられないか、ここにいる私たちにそれぞれの思いがあると思います。しかし、確かなのは、今後いくら幸せな人生を送っても、遅かれ早かれ、大なり小なり、何らかの悲劇がやってくる事です。問題は悲劇に出会ったその時、一人一人が悲劇のみに目を奪われて絶望するか、それとも、必ず悲劇と表裏一体になってやってくる、希望と生き続ける復活の力に思いを寄せるかです。

悲劇の時が来たら耳を澄ませてください。イエス様の言葉が聞こえてくるはずです。「もう泣かなくても良い。若者よ、あなたに言う。起きなさい。」悲惨な目に合っても、耳をふさぐことなく、心に力が湧く人間になってください。信じる心を抱き、起き上がる人間になってください。逆境に勇敢に立ち向かい、どんなに高い荒波をも、乗り越えて前進する人間になってください。

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