2017年9月25日 礼拝説教 「奴隷解放の象徴」

2017925日礼拝説教
「奴隷解放の象徴」

ルカによる福音書61節~11

1節                  ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは麦の穂を摘み、手でもんで食べた。
2節                  ファリサイ派のある人々が、「なぜ、安息日にしてはならないことを、あなたたちはするのか」と言った。
3節                  イエスはお答えになった。「ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。
4節                  神の家に入り、ただ祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを取って食べ、供の者たちにも与えたではないか。」
5節                  そして、彼らに言われた。「人の子は安息日の主である。」
6節                  また、ほかの安息日に、イエスは会堂に入って教えておられた。そこに一人の人がいて、その右手が萎えていた。
7節                  律法学者たちやファリサイ派の人々は、訴える口実を見つけようとして、イエスが安息日に病気をいやされるかどうか、注目していた。
8節                  イエスは彼らの考えを見抜いて、手の萎えた人に、「立って、真ん中に出なさい」と言われた。その人は身を起こして立った。
9節                  そこで、イエスは言われた。「あなたたちに尋ねたい。安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか。」
10節             そして、彼ら一同を見回して、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。言われたようにすると、手は元どおりになった。
11節             ところが、彼らは怒り狂って、イエスを何とかしようと話し合った。 

日本で日曜日が休日になったのは明治8年、1875年のことでした。それまで、職人は一日と十五日に休む習慣がありましたが、国全体として、休日はありませんでした。日曜日が休日になったのは、キリストが復活した日曜日に仕事を休むヨーロッパの国に合わせたからです。

今日の箇所に出てくる安息日。これは今で言うと土曜日のことで、ユダヤ教徒が全く仕事をしないばかりか、一切してはならないと固く信じていた日でした。モーセの十戒には次のように書いてあります。「七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事をもしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も同様である。」

そもそも、この掟がユダヤ人に与えられたのは、奴隷生活を強いられたエジプトから脱出した直後のことでした。奴隷には人権も休日もありません。八時間働いたからもう家に帰っても良いという決まりもありせん。奴隷生活からの解放の象徴としてユダヤ人は週に一回、「今日は休みだ。私は誰の奴隷でもない。仕事は一切しない」と堂々と、主張できました。彼らにとって、喜びの掟でした。

この時から数百年がたち、外国人がイスラエルの地を占領するようになりました。この時、イザヤという預言者は次のように言いました。「安息日に歩き回ることをやめ、わたしの聖なる日にしたい事をするのをやめ、これを尊び、旅をするのをやめ、したいことをし続けず、取引を慎むなら 、父祖ヤコブの嗣業を享受させる。主の口がこう宣言される。」

つまり、ユダヤ人がこのような大変な目に合うのは安息日をきちんと守らないからだ。安息日さえきちんと守れば、外国人が出て行き、国が自分たちの手に戻る。このように考えたユダヤ人は安息日にとてもこだわるようになり、庶民を困らせる多くの規則を作っては皆に押し付け、生活をとても窮屈にしてしまいました。

マルコによる福音書にも同じ話がありますが、その中でイエス様は当時としては絶対に口にしてはならない事を言いました。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。」

私の大学時代の友だちでこの言葉を引用して、「信号が人のためにあるのであって、信号のために人があるのではない。」と言って自動車が見当たらない時は赤信号を無視して渡る人がいましたが、この言葉はイエス様に敵対するファリサイ派の人たちを激怒させました。「怒り狂って、イエスを何とかしようと話し合った。」と書いてあります。

人はしばしば、事の本質を見失って一斉に間違った方向に走り出します。最近のミサイル騒動を見ても「大丈夫かな」と心配になることがあります。核兵器を開発し、弾道ミサイルの実験をしている国は北朝鮮だけではありません。問題の本質は核兵器でも、弾道ミサイルでもなく、北朝鮮が外界から遮断された、人権を守らない国だということです。

829日と915日にあったJアラート発動の真意はどうでしょうか。東奥義塾の生徒を含む、多くの大人や子供を不安に陥れたこの発動を指示した人たちは、日本が北朝鮮からの攻撃にさらされていると真面目に思ったのでしょうか。私にはむしろ、憲法を改正しようとする勢力が、国民の危機をあおって改正しやすい雰囲気を作ろうとする作戦の一つにしか見えません。

 日本の同盟国であるアメリカは、人権を守らない独裁者とでも、軍事的に協力してくれるなら仲良くします。協力しなければ武力で圧倒してつぶします。アメリカのトランプ大統領は国連演説で、北朝鮮を完全に破壊する用意があると宣言しました。イラクのフセイン大統領や、リビアのカダフィ大佐のようになりたくない金正恩最高指導者の心理状態を冷静に見極める必要もあると思います。

 「あなたたちに尋ねたい。安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか。」今こそ私たちに付和雷同しない、冷静な判断力が求められています。 

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