2017年10月30日 礼拝説教 「富んでいるのが不幸?」

20171030日礼拝説教
「富んでいるのが不幸?」

ルカによる福音書620節~26

20節             さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。
21節             今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。
22節             人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。
23節             その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。
24節             しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、あなたがたはもう慰めを受けている。
25節             今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、あなたがたは飢えるようになる。今笑っている人々は、不幸である、あなたがたは悲しみ泣くようになる。
26節             すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」
  
今日の聖書の箇所は聞いたことがあるような、ないような気がする方が多いと思います。マタイによる福音書の5章から始まる有名な「山上の垂訓」の言葉によく似ています。しかし、マタイによる福音書は、心の状態を強調し、「心の貧しい人、柔和な人、心の清い人」が幸せになると言っています。ルカによる福音書は露骨に、お金があるのかないのかに焦点を当てます。幸せになるのは貧しい人。不幸になるのはお金持ち。 

教会では、マタイの言葉が読まれることが多いです。牧師たちは、たくさんの献金をしてくれる、お金持ちの会員に気をつかっているのでしょうか。旧ソ連、中華人民共和国、ポルポト政権下のカンボジアでは、地主や金持ちが徹底的にいじめられ、財産を奪われ、強制収容所に送り込まれ、時には無残な死に方をしました。ルカに登場するイエス様は、そのような暴力的な手段による共産主義革命を勧めようとしていたのでしょうか。今日の言葉に続いて、「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」と言ったイエス様の心に、そのような構想がなかったことは明らかです。

イエス様は神の国が設立され、その幸せ、又は不幸せが、虐げられた人たちや貧しい人たちを心に留める神様の手から来ると信じていました。しかし、今から150年前、産業革命が生んだ貧困層の悲惨な状況を見た社会主義者たちの多くは、イエス様が語った理想に共感したものの、別な思いを抱きました。神の国が来るのを待つだけではダメだ。そもそも、神様がいるかどうかも疑わしい。イエス様の理想を実現するなら、武力で革命を起こして支配階級を倒すしかない。

ソ連や、中華人民共和国を作った人たちは理想に燃えていたし、命を懸けてその理想の実現のために戦いました。しかし、結果的に明らかになったのは、いくら理想が高くても、暴力的な手段で権力を奪う人たちは、同じく暴力を用いて反対者を弾圧することでした。例を挙げると、民主化を求めて天安門広場に集まった学生たちは千人以上、中国の人民開放軍に殺されました。今年に入ってからも、ノーベル平和賞の受賞者、劉暁波は刑務所で亡くなりました。

戦後の日本では、同じような革命が起きるのではないかという心配から、農地改革が行われ、地主から農地が取り上げられ、ただ同然で小作人に与えられました。会社員には年功序列型賃金と終身雇用制度が与えられました。収入が最も高い人たちの所得の90パーセント以上が税金として徴収されました。しかし、1980年頃から、貧しい人たちのことをあまり気にすると経済が伸びないという考えが支配的になり、アメリカやイギリスを中心に世の中は再びお金持ちに都合の良い社会に戻って行き、日本もその影響を受けました。

経済が伸びても、お金持ちに対するイエス様の警告が消えるわけではありません。発展途上国に工場を移し、国内では許されない労働条件で人を使って利益を上げる企業。正規の職員の待遇を守ることに満足し、非正規労働者の待遇に目を配ることを忘れる労働組合。最低賃金しか払わず、パートだからと言って生活に責任を持とうとしないのに、学生や主婦にサービス残業を強いる経営者。このような手段を使って楽な生活を送っている人たちにイエス様は今も語り掛けています。「富んでいるあなたがたは不幸だ。あなたがたはもう慰めを受けている。」

 現代社会は真面目に働く、賢い人に、運が良ければ、ある程度までお金持ちになるチャンスを与えます。ここにいる生徒たちの中からも、そのような卒業生が現れることを祈っています。しかし、成功に巡り合ったその時、忘れないで下さい。あなたの成功体験は育ててくれた家族や、皆の税金でできた教育制度、健康を守ってくれた医療制度、交通網、通信網、人や物の安全を保障する警察組織や裁判所なしにはあり得なかった物で、あなた一人の力だけではせいぜい、洞窟に住む原始人程度の生活しか望めなかったのです。

 イエス様が言う「貧しい人たちは幸いである。」という言葉を実現させるために力を貸して、努力する人になって下さい。間違っても、自分の幸せだけを考えて他人を利用し、「富んでいるあなたがたは不幸だ」と言われるような人にならないで下さい。

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