2017年4月7日 始業式 「だから、わたしたちは落胆しません。」

201747日 始業式
「だから、わたしたちは落胆しません。」
 
コリントの信徒への手紙二 41618

16節  だから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの「外なる
人」は衰えていくとしても、私たちの「内なる人」は日々新
たにされていきます。
17節  わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど
重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。
18節  わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注
ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠 
に存続するからです。

 「だから、わたしたちは落胆しません。」これは楽な人生を送った人の言葉ではありません。新約聖書の半分近くを書いたパウロの言葉です。初代のクリスチャンたちに「あなたは何教?」と聞いたら「キリスト教」ではなく、「ユダヤ教」と答えたことでしょう。パウロという人がいなければ、キリスト教はナザレのイエスを師として仰ぐユダヤ教の一派で終わっていたとも言われています。

 十字架と復活の出来事の数年後にキリスト教徒になったパウロは、地中海周辺の各地を回ってユダヤ教徒たちにイエスを信じるように説得しました。大部分のユダヤ教徒に拒絶されると、今度は異教徒たちにイエスのことを伝えました。それを見て異教徒に対して差別意識の強いユダヤ教徒たちは腹を立て、町の人たちを扇動して暴動を起こし、パウロに石を投げつけて追い出しました。命からがら逃げたパウロは次の町に行き、そこで同じことが繰り返されました。何回もこのようなことが続き、最後にはローマ帝国の首都に連行されてネロ皇帝の下で処刑されました。

今日の聖書の箇所は、旅をして回るパウロがギリシャにあるコリントという町に残していった弟子たちを気遣って書いた手紙からの抜粋です。この弟子たちに対して、パウロがペテン師だと言って非難を浴びせる、同じキリスト教の仲間さえいて、パウロを困らせていました。「もういやだ!ヤーめた!」このように言うのが当たり前な状況でした。しかし、パウロは何と言ったでしょうか。繰り替えし書いたのは「私たちは落胆しません」という言葉でした。

新年度を始めるに当たって、ここに集まっているほとんどの生徒の心は、期待と希望に膨らんでいることと思います。しかし、年度が進むに従って、落胆させるような出来事が必ず起きてきます。その都度、心の中で繰り返して欲しい言葉があります。それはパウロが口にしたこの言葉です。「だから、私たちは落胆しません。」

「その根拠は何でしょう?ただの空元気には興味がない」という生徒もいるでしょう。そうだろうと思って、今年度、私が特に強調したい聖書の教えの三つを紹介してその根拠を説明することにしました。

第一に、出来の悪い人間は一人もいません。頭が悪い、運動が苦手、音痴で歌えない、容姿に自信がない、友だちができない、などと思って自分に落胆している生徒がここにいるかもしれません。しかし、旧約聖書の2ページの上の段にこのように書いています。「神は自分にかたどって人を創造された。」同じページの下の段に「主なる神は人の鼻に命の息を吹き入れた。人はこうして生きる者となった。」無作為なDNAの組み合わせの結果として生まれた人間は一人もいません。私たちは一人残らず、宇宙の創造者の息吹を吹き込まれた、無限の可能性と価値を持つ、尊い存在です。

能力や体格に差があるかもしれません。しかし、肝心なのは、一人一人に平等に与えられたこの神様の命です。これは学校の成績や、スポーツの試合結果や、どれくらい人気があるか等とは全く関係のない事です。皆から無視され、バカにされてもこのことを忘れないでください。全宇宙の神様はあなたの味方です。「だから、私たちは落胆しません。」

 第二に、憎くてしょうがない人がいる。あの人が近くにいる内は幸せになれない。そう思って落胆したことがありませんか。聖書にはこのような思いへの対象法も書いてあります。第一の教えに比べると、この教えに従うのは結構、難しいことです。しかし、憎くてしょうがない相手が目の前にいても、その人に勝つ最強の武器の名前が聖書に書いてあります。その武器の名前は「赦し」です。

敵を憎むのはごく自然のことであり、人間が持つ最も動物的な本能は、敵の撲滅を求めることです。しかし、キリストは「敵を愛し、あなた方を憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなた方を侮辱する者のために祈りなさい。」と教えています。

 どうしてそんなことができるでしょうか。イエス様が弟子たちに教えた祈りの言葉の中にヒントがあります。「私たちの罪を赦してください。私たちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。」人は神の命を受けた存在であるのとは対照的に皆、罪がある、不完全な者です。そんな私たちは、神の赦しを受けています。その絶大な恵みに感謝し、同じように赦しを受けた仲間として、私たちがすべての人を赦す心を育てるように求められています。この教えはどこに行っても見られる、戦争や争い事を解決する方法を提示してくれています。「だから、私たちは落胆しません。」

最後に、昨日の入学式で詳しくお話したように、キリスト教は復活の信仰です。イエス様は、亡くなったばかりの人の、嘆き悲しむ遺族の前に立って次の事を言いました。「わたしは復活であり、命である。私を信じる者は死んでも生きる。」この話の続きを知りたければ、ヨハネによる福音書の11章を読んでください。死にも打ち勝つ、復活の信仰に支えられて生きる者として、どんな状況においても希望があり、決して絶望することなく、勇気をもって前進することができます。「だから、私たちは落胆しません。」

一年生の皆様。東奥義塾という真新しい世界を思う存分に探検し、そこに秘められた宝を早く見つけるように努力して下さい。時が過ぎ行くのを忘れるほど、夢中になれるものを必ず探せるものと確信しています。

二年生の皆様。ご進級おめでとうございます。二年生になれたのは、義務教育にいた時と違って、自分の努力で一学年の単位を取得したからです。今日から東奥義塾で後輩を持つ身分になりました。一年生のあこがれの対象となる、すてきな先輩になるように心がけて下さい。来年の県総体を目指すスポーツ選手にとってこれからの一年が勝負になります。来年になると大学を目指す生徒は一斉に頑張り出すので、成績の順位を上げようと思うならこの一年が最後のチャンスとなります。中だるみと言われるようなことがないように頑張って下さい。

三年生の皆様。来年の今頃、皆様はここにはいません。東奥義塾での最後の年を悔いのないように仕上げてください。この一年の内に、皆様は日本の総理大臣を選ぶプローセスに参加できる大人として扱われるようになります。急には大人になれません。その意識と責任感をこの日からしっかりと抱くようにし、大人として立ち上がる備えを怠らないようにしてください。

2017年度が一人一人の生徒にとって思い出深い、輝かしい一年になることを心から願い、式辞と致します。

201747
東奥義塾高等学校

塾長 コルドウェル ジョン

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