2025年2月17日 礼拝説教 「その志は立派であった」
2025年2月17日 礼拝説教
「その志は立派であった」
1節
王は王宮に住むようになり、主は周囲の敵をすべて退けて彼に安らぎをお与えになった。
2節
王は預言者ナタンに言った。「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ。」
3節
ナタンは王に言った。「心にあることは何でも実行なさるとよいでしょう。主はあなたと共におられます。」
4節
しかし、その夜、ナタンに臨んだ主の言葉は次のとおりであった。
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11節
・・・主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。
12節
あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。
13節
この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。
列王記上8章1節、17節~20節
1節
ソロモンは、そこでイスラエルの長老、すべての部族長、イスラエル人諸家系の首長をエルサレムの自分のもとに召集した。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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17節
「父ダビデは、イスラエルの神、主の御名のために神殿を建てようと心掛けていたが、
18節
主は父ダビデにこう仰せになった。『あなたはわたしの名のために家を建てようと心掛けてきた。その心掛けは立派である。
19節
しかし、神殿を建てるのはあなたではなく、あなたの腰から出る息子がわたしの名のために神殿を建てる』と。
20節
主は約束なさったことを実現された。主が約束なさったとおり、わたしは父ダビデに代わって立ち、イスラエルの王座につき、イスラエルの神、主の御名のためにこの神殿を建てた。
三年間の高校生活とは言いますが、実際は二年十ヶ月程度で終了します。卒業が決まった三年生はここにいませんが、今頃、アッと言う間に過ぎた高校生活を振り返り、いろいろなことを思いめぐらしていることと思います。入学した時に志したことの中で、果たせなかったこともあれば、思いがけずに果たせたこともあったことでしょう。夢の大きさは無限大ですが、与えられた時間は短く、生身の生き物に過ぎない私たちの力にも限界があります。実現できたことの平凡さを思えば悲しくなり、入学した頃の夢を忘れたいと思う生徒もいるかもしれません。
実現しなかった夢は私たちの無力を証明し、力の限界を知った私たちを嘲るものでしょうか。空に舞い上がる翼もない、地面から離れられない運命を背負う人間が、星をめがけて飛び立つ夢を抱くのは恥ずかしいことでしょうか。ダビデに対する神様の言葉を読む限り、そう思う必要はありません。宇宙の創造者である神様は人間に、力に限界がある身体と一緒に、宇宙の向こうまで届く、気高い心を与えました。現実問題として届きそうもない結果に終わっても、「その心がけは立派だった」と言って、一人一人を誉めてくださるのは聖書の神様です。
今まで話をした通り、イスラエルの歴史におけるダビデの功績は絶大な物でした。バラバラな部族の集団をまとめ上げ、周囲の国から攻められる隙のない、強い国家を樹立しました。それも冷酷な暴君としてではなく、国民に愛される人間味のある指導者として、後に続く王様の手本となる立派な模範を残しました。今の時代にも、世界の注目を集めるエルサレムに都を据え、イスラエルの信仰の象徴である神殿をそこに移し、当時としては最高級の建材、レバノン杉を使って王宮を建てました。
「これですべてよし」と言っても、文句の付け様がない実績に言えたでしょうが、ダビデはあることを気にしていました。かつて、遊牧民のような生活をしていたイスラエル人の神殿は、立派な素材でできていたものの、移動式でテント形式の「幕屋」という物でした。一つの場所に縛られることなく、人がどこに行っても付いて行き、共にいてくださる神様の特徴を表す物でした。しかし、イスラエル人の状況が変わり、ダビデの下で王宮がある都を持つ国家となりました。
「自分は豪華な王宮の住んでいるのに、神様にテント生活をさせている。神様のために立派な神殿を建てよう。」そう思ったダビデに対して神様のお告げがありました。「お気持ちだけで十分。天地の造り主が住む家にこだわるとでも思うのか。私のために家を建てる前に、あなたの家を代々続く、確かな物にしよう。王となるあなたの息子が神殿を建てる。」神様はダビデが抱いた夢を喜び、次の代に託すように指示しました。息子のソロモンが建てた神殿は周辺国を驚かせる立派な物でしたが、それを可能にしたのはダビデの心がけでした。
実現できるかと思い悩む前に、天まで届くほど大きく、高邁な志を立てましょう。夢に終わり、叶うことがなくても、若い時に高い志を抱いたことを誇りにしましょう。人には認めてもらえなくても、その思いを決して忘れることのないお方がいます。「あなたはわたしの名のために家を建てようと心掛け、その志は立派であった。」
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