2024年12月2日 礼拝説教 「王は喜び踊った」

 2024122日 礼拝説教

「王は喜び踊った」

サムエル記下612節~16節、20節~22

12節           神の箱のゆえに、オベド・エドムの一家とその財産のすべてを主は祝福しておられる、とダビデ王に告げる者があった。王は直ちに出かけ、喜び祝って神の箱をオベド・エドムの家からダビデの町に運び上げた。

13節           主の箱を担ぐ者が六歩進んだとき、ダビデは肥えた雄牛をいけにえとしてささげた。

14節           主の御前でダビデは力のかぎり踊った。彼は麻のエフォドを着けていた。

15節           ダビデとイスラエルの家はこぞって喜びの叫びをあげ、角笛を吹き鳴らして、主の箱を運び上げた。

16節           主の箱がダビデの町に着いたとき、サウルの娘ミカルは窓からこれを見下ろしていたが、主の御前で跳ね踊るダビデ王を見て、心の内にさげすんだ。

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20節           ダビデが家の者に祝福を与えようと戻って来ると、サウルの娘ミカルがダビデを迎えて言った。「今日のイスラエル王は御立派でした。家臣のはしためたちの前で裸になられたのですから。空っぽの男が恥ずかしげもなく裸になるように。」

21節           ダビデはミカルに言った。「そうだ。お前の父やその家のだれでもなく、このわたしを選んで、主の民イスラエルの指導者として立ててくださった主の御前で、その主の御前でわたしは踊ったのだ。

22節           わたしはもっと卑しめられ、自分の目にも低い者となろう。しかし、お前の言うはしためたちからは、敬われるだろう。」

刑務所や牢獄に入れられる人の心は暗くなります。拘留中に哲学書を書くことがあっても、コメディーを書くことはありません。しかし、信仰深い人や、心が強い人であれば、前向きで楽観的な文書を書くことがあります。新約聖書の四分の一を書いたパウロは、ローマ市内の牢獄の中で次のように書きました。「・・喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい・・・主はすぐ近くにおられます・・・思い煩うのはやめなさい。」

聖書はダビデを理想的なリーダーとして描いていますが、ダビデ物語から伝わって来るのは、どのようなことにもくじけない、この人の明るくて陽気な性格です。私の大学時代のクラスメートに、後に有名な政治家になった女性がいましたが、男性のクラスメートが彼女について、次のように言ったのを覚えています。

「あのような女性が好きだよ。彼女には喜びがある。喜びは伝染する物だからね。一緒にいると元気になるよ。」当時は自分の好みでもなく、大した気にもかけていなかったこの人が、後に内閣に入って大臣になり、自民党の総裁選にも出るようになりました。テレビに映る姿を見てその時のことを思い出しますが、彼女にはダビデのようなところがあったのかもしれません。

ダビデ物語を飛ばしながら読んでいますが、王様になったダビデが最初に行ったことは、他民族のエブス人を追い払って、イスラエルの首都となるエルサレムを奪うことでした。今もそうですが、自然の要塞だったエルサレムは、難攻不落の街とされていました。数百年前からこの地方を支配するようになったイスラエル人も、この街だけは手に入れることができていませんでした。

見事な戦略が当たってエルサレムを手にしたダビデはその場所をイスラエルの首都にして王宮を建てました。それまでのイスラエルは、田舎町の連合体のような存在でしたが、今度は周囲の国から一目置かれる立派な首都を持つ国家として設立するチャンスが巡って来ました。しかし、大祭司エリの時代に国が敗北して以来、神様への信仰の象徴である契約の箱は、仮住まいを転々とする状態が続いていました。国家拡大の夢を実現する前に、ダビデが何よりも、このエルサレムで神様を礼拝するキチンとした場所を作りたかったのです。

ここまで自分を導いてくれた神様に相応しい場所を、ここで作ろう。そう思ったダビデは契約の箱をエルサレムに運び込ませましたが、エルサレムに入って来るその姿に皆の心が大いに湧きました。あまりの嬉しさにダビデは王としての立場を忘れ、半裸状態になって踊りの輪に入って行き、力の限りを尽くして踊りました。それを見たダビデの妻で、サウル王の娘のミカルは夫をひどく軽蔑して心の中で思いました。「王様たる者が、身分の低い女性たちの前で、あのような姿を晒すとは。恥ずかしい限りだ。」

しかし、そのことを責められたダビデに反省する様子はありませんでした。「自分の立場やプライドはどうでも良い。そもそも、この地位に就かせたのはイスラエルの神であり、自分は何者でもない。羊飼いだった時と変わらない素直な気持ちで、神様のみ前でありのままの自分を表現するのは当たり前のことだ。」喜びは伝染します。聖書が理想とするリーダーはこのような人です。私たちもその姿から学ぶようにしましょう。

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