2024年11月11日 礼拝説教 「サウルの上着の端」
2024年11月11日 礼拝説教
「サウルの上着の端」
サムエル記上 19章1節、22章1節~2節、24章1節~8節
1節 サウルは、息子のヨナタンと家臣の全員に、ダビデを殺すようにと命じた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
22章
1節
ダビデはそこを出て、アドラムの洞窟に難を避けた。それを聞いた彼の兄弟や父の家の者は皆、彼のもとに下って来た。
2節
また、困窮している者、負債のある者、不満を持つ者も皆彼のもとに集まり、ダビデは彼らの頭領になった。四百人ほどの者が彼の周りにいた。
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24章
1節
ダビデはそこから上って行って、エン・ゲディの要害にとどまった。
2節
ペリシテ人を追い払って帰還したサウルに、「ダビデはエン・ゲディの荒れ野にいる」と伝える者があった。
3節
サウルはイスラエルの全軍からえりすぐった三千の兵を率い、ダビデとその兵を追って「山羊の岩」の付近に向かった。
4節
途中、羊の囲い場の辺りにさしかかると、そこに洞窟があったので、サウルは用を足すために入ったが、その奥にはダビデとその兵たちが座っていた。
5節
ダビデの兵は言った。「主があなたに、『わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。思いどおりにするがよい』と約束されたのは、この時のことです。」ダビデは立って行き、サウルの上着の端をひそかに切り取った。
6節
しかしダビデは、サウルの上着の端を切ったことを後悔し、
7節
兵に言った。「わたしの主君であり、主が油を注がれた方に、わたしが手をかけ、このようなことをするのを、主は決して許されない。彼は主が油を注がれた方なのだ。」
8節
ダビデはこう言って兵を説得し、サウルを襲うことを許さなかった。サウルは洞窟を出て先に進んだ。
日が経つにつれ、サウル王の心は暗くなって行くばかりでした。若かった頃の力と情熱が消えて行くことへの焦りに加え、ダビデを妬んで疑う気持ちに抑えが効かなくなっていました。読者である私たちは知っています。王様に与えられる神様の霊がサウルから離れ、ダビデに移っていました。しかし、この事を知る術のないサウルは、何をしても成功するダビデを見て耐えられない思いに陥りました。癇癪を起して槍を投げる一時的な衝動から始まったサウルの気持ちは、本格的な殺意に変わって行きました。
ついに、王様から決定的な命令が下りました。「ダビデを殺せ。」人気者のダビデとは言え、怒り狂った王様の前ではなす術もなく、命からがらに逃げました。ダビデとサウルの物語が長いので、そのほとんどを省力しますが、サウルはダビデを執拗に追い続けました。捕まえようとするサウルの努力はことごとく失敗に終わりましたが、ダビデは正に逃亡者となり、将来の王様の気配は全く感じられなくなりました。
身の安全を心配してベツレヘムにいられなくなったのはダビデの家族でした。ダビデは逃れて来た両親を隣の国の王様に預けましたが、集まってきたのは親兄弟ばかりではありませんでした。命を狙われている人でも良い。分け与える物がない人でも良い。寝る時は野宿や洞窟でも良い。ダビデの人間性に惹かれ、数百人が彼の居場所を探し出し、家来になりました。
着いて来ようとする人に「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」と言ったのはイエス様でした。それでも、イエス様の周りにも大勢の人が集まりました。この人と一緒にさえいられるなら、他は何もいらない。恋に落ちて駆け落ちするカップルも同じ心境になりますが、本当の意味でリーダーに相応しい人に出逢うと、人は「来るな」と追い返されても、ついて行きます。
イエス様は「ダビデの子にホサナ」と言って迎えられましたが、ダビデは軍人で、イエス様は弟子たちに武器を取り上げることを許さないお方でした。二人には対照的な所がありますが、共通点も多く、ダビデの生き様には、旧約聖書から新約聖書への橋渡しが見えて来ます。それまでも何回かあったように、サウルはついに、ダビデの隠れ場に迫り、命を奪う寸前まで追い込みました。ただ、今回の違いはサウルの方が油断して命を落としそうになったことでした。
当時の常識から見ても、一般的な正義感から見ても、これはサウルの命を奪うべき時で、イスラエルの民を、狂ってしまった王様から解放する絶好の機会でした。しかし、ここは周辺国の王様とダビデの違うところでした。確かに、自分も王になるべき人として、預言者サムエルの指名を受けた。しかし、サウルはただの王ではない。神様に立てられた特別なお方だ。預言者の言葉が実現する気配が一向にないのは分かる。しかし、イスラエルの王位は、人間の力や策略で奪える物ではない。
このように考えたダビデは、今日の場面でリーダーのあるべき姿の一つを示しています。つまり、本当のリーダーに相応しい人は、神様の時を待ちます。チャンスを逃し、損ばかりしているかのように見えても、焦る必要はありません。上着の端を切り取られたサウルは洞窟から出て行きました。サウルはその後、どうなったでしょうか。次回はその話をします。
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