2024年7月8日 礼拝説教 「悲劇の王」

 202478日 礼拝説教

「悲劇の王」

サムエル記上 91節~2節、101節、24節、

1522節~23節、35

1節                  ベニヤミン族に一人の男がいた。名をキシュといい、家系をさかのぼると、アビエル、ツェロル、ベコラト、ベニヤミン人のアフィアに至り、勇敢な男であった。

2節                  彼には名をサウルという息子があった。美しい若者で、彼の美しさに及ぶ者はイスラエルにはだれもいなかった。民のだれよりも肩から上の分だけ背が高かった。

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10

1節                  サムエルは油の壺を取り、サウルの頭に油を注ぎ、彼に口づけして、言った。「主があなたに油を注ぎ、御自分の嗣業の民の指導者とされたのです。

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24節             サムエルは民全体に言った。「見るがいい、主が選ばれたこの人を。民のうちで彼に及ぶ者はいない。」民は全員、喜び叫んで言った。「王様万歳。」

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15

22節             サムエルは言った。「主が喜ばれるのは焼き尽くす献げ物や生贄であろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことは生贄にまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる。

23節             反逆は占いの罪に、高慢は偶像崇拝に等しい。主の御言葉を退けたあなたは王位から退けられる。」

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35節             サムエルは死ぬ日まで、再びサウルに会おうとせず、サウルのことを嘆いた。主はサウルを、イスラエルの上に王として立てたことを悔いられた。

サウルが王様に選ばれた時から読み始め、それから起きた出来事を飛ばし、サムエルから引導を渡された場面まで一気に読みました。何が何だかわからなくなったかもしれませんが、サウル王に興味がある生徒は9章から15章まで読んで見てください。サウル王は次に来る理想的なダビデ王に比べられるので、とても悪い王様だったというイメージがあります。私も最初はそう思いましたが、サウルについて読めば読むほど、この人に深く同情するようになりました。

サムエルは理由があってサウル王に対して腹を立てました。しかし、サムエルの理想は高く、どんなに立派な人であっても、結末は同じだったような気もします。若い頃のサウルは美男で背が高く、外見にこだわる当時の基準から言うと、理想的な王様でした。イケメンだからと言ってうぬぼれることなく、とても謙虚な人でした。サウル物語の最初の数ページを読むと、この人のすばらしさが輝いているように見えます。

人は誰かに憧れると、とてもウキウキします。これまで会った人にない才能や魅力があると思うと、その人に自分の夢を託します。一緒にいると、冴えなかったそれまでの人生に光が差したかのように、希望が湧いてきます。出会えた人は確かにすばらしい人かもしれません。しかし、憧れている自分が、相手に個人的な理想を勝手に押し付けている場合もあります。普通の人でしかないのに、超人間的なことまで期待するようになり、期待した通りに動いてくれないとがっかりします。

サウルは王様になったからと言って宮殿を建てた訳でも、軍隊を作った訳でもありません。それまで通りに実家に住み、農家として働き続けました。そんなある日、イスラエルのはずれにある街が敵に攻められているのを聞きました。それまでの預言者と同じように、サウルの上にも神様の霊がくだりました。全国のイスラエル人に呼びかけ、集まった人たちのリーダーとなり、その街を敵の手から救いました。

ここまでのサウルはイスラエル人のヒーローであり、王様を立てたのが大成功に見えました。サウルには傲慢になる様子はなく、謙虚で純真なままでした。問題はそれからでした。サウルは王様になったものの、信仰的なことについてはサムエルの指示を受ける立場にいました。最初は素直に従っていたサウルは、敵に攻められて焦ったり、部下たちの意見を聞いて迷ったりする内に、身勝手行動が目立ち始め、重大なミスを犯すようになりました。

サウルにはヨナタンという立派な息子がいましたが、神様はサムエルを通してサウルの王朝が一代で終わると告げ、最後はサウルに王様として失格だという宣告を行います。神様の御心に適う人を求め、その人を民の指導者するとまで言います。それからのサウルは、王様の位から降ろされることを心配しながら国を指導することになり、精神状態も少しずつ不安定になって行きます。

リーダーに向けられる期待も大きければ、非難される事も多いです。必ずやって来るのは自分から降りるか、周りの人に降ろされるその時期です。新しいリーダーを迎えた時も、自分がリーダーになった時もこの事実を冷静に受け止めてください。いつまでも変わらないのは、天地万物を支配する神様です。反面教師ではありますが、そのお方の前に跪き、謙遜に生きることを教えてくれるのはサウル王です。

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