2024年5月27日 礼拝説教 「信頼するに足る人」

 2024527日 礼拝説教

「信頼するに足る人」

サムエル記上 311節~21

11節           主はサムエルに言われた。「見よ、わたしは、イスラエルに一つのことを行う。それを聞く者は皆、両耳が鳴るだろう。

12節           その日わたしは、エリの家に告げたことをすべて、初めから終わりまでエリに対して行う。

13節           わたしはエリに告げ知らせた。息子たちが神を汚す行為をしていると知っていながら、とがめなかった罪のために、エリの家をとこしえに裁く、と。

14節           わたしはエリの家について誓った。エリの家の罪は、いけにえによっても献げ物によってもとこしえに贖われることはない。」

15節           サムエルは朝まで眠って、それから主の家の扉を開いた。サムエルはエリにこのお告げを伝えるのを恐れた。

16節           エリはサムエルを呼んで言った。「わが子、サムエルよ。」サムエルは答えた。「ここにいます。」

17節           エリは言った。「お前に何が語られたのか。わたしに隠してはいけない。お前に語られた言葉を一つでも隠すなら、神が幾重にもお前を罰してくださるように。」

18節           サムエルは一部始終を話し、隠し立てをしなかった。エリは言った。「それを話されたのは主だ。主が御目にかなうとおりに行われるように。」

19節           サムエルは成長していった。主は彼と共におられ、その言葉は一つたりとも地に落ちることはなかった。

20節           ダンからベエル・シェバに至るまでのイスラエルのすべての人々は、サムエルが主の預言者として信頼するに足る人であることを認めた。

21節           主は引き続きシロで御自身を現された。主は御言葉をもって、シロでサムエルに御自身を示された。

大祭司エリが自分の家が滅ぼされると聞かされたのは初めてのことではありませんでした。今回は礼拝で読みませんでしたが、2章の後半に名前が記されていない預言者が、エリの前に現れます。「神様を敬う人は、神様から名誉を与えられ、神様を軽く見る人は、神様に軽蔑される。」という言葉をエリに伝え、「エリの家が必ず滅びる」と伝えました。

サムエルにも神様の言葉が届いたと悟ったエリは嫌な予感がしました。以前、サムエルが小さかった頃にやって来た預言者の言葉を思い出しました。「サムエルにも同じような言葉が届いたのではなないか。でも、サムエルは素直で優しい子だ。小さい頃から可愛がって上げたのは自分だ。あの子の口から出るなら、もっと良い話が聞けるかもしれない。」そのように思いめぐらす内にエリは朝を迎えました。

もっと辛い思いをしていたのはサムエルの方でした。エリは大祭司として役立たずであっても、これまでは大事にしてくれた人であり、落ち込ませることは言いたくなかったです。神様の言葉とは言え、聞かなかったことにするか、心にとどめておいて方が良いと考えたことでしょう。しかし、エリはそれを許しませんでした。「自分に隠しごとをするなら、恐ろしいバチが当たるぞ」と言ってサムエルを脅しました。

真実を知るのは大事なことですが、生易しいことではありません。都合の悪い事実に直面すると、知らないふりをした方が楽で、黙っていれば、時が解決してくれると思いたくなります。エリは正にそのような人で、大祭司という立場にありながら、嫌われることをいやがり、言うべきことと、やるべきことを避けてきました。私たち人間が直面する問題は、小さい内に対処せずに放っておくと、手を付けられないほど大きくなる物です。

サムエルの言葉を聞いたエリは「やっぱり」と思ってがっかりしましたが、「それを話されたのは主だ。主が御目にかなうとおりに行われるように。」と言い、諦めきった態度を取りました。「このまま死ぬ訳には行かない。最後の力を振り絞ってこの恥ずかしい有様を何とかしよう。」そう思っても良さそうな気もしますが、エリはそのような人ではありませんでした。

サムエルはエリから色々な事を学びましたが、この点ではエリを反面教師、つまり「このような人になってはいけない」という模範にしました。新約聖書に「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。」という言葉がありますが、サムエルのそれからの人生は、この教えの実行そのものでした。嫌われることが多かったことでしょう。命が危ないと思うこともあったかもしれません。しかし、神様の声を素直に聞く、本当のことを言う人として一目置かれるようになり、イスラエルの最北端にあるダンから、最南端にあるベエル・シェバまで、「主の預言者として信頼するに足る人である」と認めらました。

エリの家の滅亡は間近でした。しかし、神様はイスラエルを見捨てることなく、次の世代を救うリーダーを育てていました。神様の言葉を素直に聞き、怯えることなく人に伝える、言葉と行動に矛盾のない人。東奥義塾に在学した以上、皆様にもそのような人間になって欲しいと、心から願っています。

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