2024年5月13日 礼拝説教 「悪い環境に育った偉い人間」
2024年5月13日 礼拝説教
「悪い環境に育った偉い人間」
サムエル記上 2章12節、17節~18節、22節~26節、3章1節
12節
エリの息子はならず者で、主を知ろうとしなかった。
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17節
この下働きたちの罪は主に対する甚だ大きな罪であった。この人々が主への供え物を軽んじたからである。
18節
サムエルは、亜麻布のエフォドを着て、下働きとして主の御前に仕えていた。
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22節
エリは非常に年老いていた。息子たちがイスラエルの人々すべてに対して行っていることの一部始終、それに、臨在の幕屋の入り口で仕えている女たちとたびたび床を共にしていることも耳にして、
23節
彼らを諭した。「なぜそのようなことをするのだ。わたしはこの民のすべての者から、お前たちについて悪いうわさを聞かされている。
24節
息子らよ、それはいけない。主の民が触れ回り、わたしの耳にも入ったうわさはよくない。
25節
人が人に罪を犯しても、神が間に立ってくださる。だが、人が主に罪を犯したら、誰が執り成してくれよう。」しかし、彼らは父の声に耳を貸そうとしなかった。主は彼らの命を絶とうとしておられた。
26節
一方、少年サムエルはすくすくと育ち、主にも人々にも喜ばれる者となった。
3章
1節
少年サムエルはエリのもとで主に仕えていた。そのころ、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった。
人格の大部分は環境で決まります。新約聖書に次の言葉があります。「思い違いをしてはいけない。悪いつきあいは良い習慣を台無しにするのです。」周りにいる人と違うタイプの人間に育つのはとても難しいことです。家族の心が豊かなら、お金がない家に生まれても立派な人間が育ちます。しかし、心の曲がった人との付き合いが多いと、善悪の見分けもつかなくなり、下手をすると、社会に迷惑をかける人間になります。
礼儀を大事にする部活動に所属すると知らず知らず、礼儀正しい人間になりますが、先輩が人を見て態度を変える人間であれば、適当にごまかすことを学びます。教養を大事にする家庭の子供は自然と、勉強するようになりますが、本も新聞も読まない親が「勉強しなさい」と言っても子供はその気になりません。いじめの対象を作る、立場の弱い人を大事にしない職場で働いていると、いとも簡単にその雰囲気に流され、加害者側に回ってしまいます。
そう思うと、神殿に仕えるサムエルに、まともに育つ見込みがあったでしょうか。大祭司のエリは誠実な人でしたが、性格も意志も弱く、息子たちのホフニとピネハスを叱っても聞いてもらえませんでした。祭司として神殿の業務を担当する息子たちの評判はとても悪く、祭司の下で働く人たちの罪も「主に対する甚だ大きな罪であった」と書いてあります。
その更にまた下で働いていたのは少年サムエルでした。どう考えても、影響されないはずはありませんでした。先輩もやっているじゃないか。郷に入れば郷に従え。そのように考えていたなら、同じように染まって行ったことでしょう。しかし、サムエルは違いました。大祭司エリが特別に目をかけてくれたからでしょうか。それとも、年に一回、会いに来た母親の思いが伝わったのでしょうか。神殿に仕えるサムエルは、神様にも、人々にも喜ばれる者になったと書いてあります。
周りにいる人と違うタイプの人間になるのは難しいことだと言いましたが、不可能ではありません。質量のある物はすべて重力に引っ張られ、地面から離れることができないはずですが、それを可能にして空高く舞い上がる生き物もいれば、月まで行って来た人間もいます。聖書は「新たに力を得、鷲のように翼を張って上る」人がいると教えています。「命をもたらす霊の法則によって、罪と死の法則から解放」される人がいるとも教えています。
聖書が書かれた目的の一つは、私たちにこのことを教えることにあります。次々と紹介される聖書の登場人物は、悪い時代に生まれ、悪い環境に育ちますが、神様との出会いがあって周囲の人たちと違う生き方に導かれます。自分の欲求を満たすこと以外に生きる目的を見いだせない人間に聖書は呼びかけ、空より高い志を持つように奮い立たせます。夢を語っても反応しない仲間に足を引っ張られることなく、川の流れに逆らっても川上に向かって泳ぐように求めます。
近頃の新聞の一面に、世界や青森県の将来を悲観させる記事が多く見られますが、下を向いている時代に生きていればこそ、私たちに求められるのは、上から届く言葉に耳を澄ませることです。次回は時代の流れを変えることになる、少年サムエルの、神様との出会いを紹介します。
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