2024年4月15日 礼拝説教 「約束の言葉を信じた人」
2024年4月15日 礼拝説教
「約束の言葉を信じた人」
サムエル記上 1章12節~20節
12節
ハンナが主の御前であまりにも長く祈っているので、エリは彼女の口もとを注意して見た。
13節
ハンナは心のうちで祈っていて、唇は動いていたが声は聞こえなかった。エリは彼女が酒に酔っているのだと思い、
14節
彼女に言った。「いつまで酔っているのか。酔いをさましてきなさい。」
15節
ハンナは答えた。「いいえ、祭司様、違います。わたしは深い悩みを持った女です。ぶどう酒も強い酒も飲んではおりません。ただ、主の御前に心からの願いを注ぎ出しておりました。
16節
はしためを堕落した女だと誤解なさらないでください。今まで祈っていたのは、訴えたいこと、苦しいことが多くあるからです。」そこでエリは、
17節
「安心して帰りなさい。イスラエルの神が、あなたの乞い願うことをかなえてくださるように」と答えた。
18節
ハンナは、「はしためが御厚意を得ますように」と言ってそこを離れた。それから食事をしたが、彼女の表情はもはや前のようではなかった。
19節
一家は朝早く起きて主の御前で礼拝し、ラマにある自分たちの家に帰って行った。エルカナは妻ハンナを知った。主は彼女を御心に留められ、
20節
ハンナは身ごもり、月が満ちて男の子を産んだ。主に願って得た子供なので、その名をサムエル(その名は神)と名付けた。
ハンナの家族が毎年、神殿があるシロの街にやって来たのは、奴隷生活からの解放を記念する、過越しの祭を守るためでした。神殿と言っても、エジプトから約束の国に向かう途中に組み立てられたテント形式の物で、後にエルサレムに建った立派な物とは違いました。エジプトを出た夜と同じように、家族ごとに子羊を殺して焼き、その肉を分け合って食べました。現代のユダヤ人も毎年、欠かさず、このお祭りのお祝いをしますが、その目的は奴隷だった自分たちの民族の始まりを忘れることなく、救い出してくださった神様を忘れないことにあります。
お祭りの本当の意味をよく心に留めていた大祭司のエリは、いつにも増してお祭りの目的を忘れ、飲み食いしながら、どんちゃん騒ぎをするイスラエル人の姿に心を痛めていました。その時、神殿の入り口付近に座っていたエリの目に留まったのは、様子のおかしい、一人のご婦人でした。お酒を飲み過ぎて神殿の前で酔いつぶれ、神聖な場所を汚していると誤解した大祭司は、ひどく腹を立てました。
声を出さないで、唇だけを動かして長く祈るハンナの心は張り裂けようとしていました。今年もペニナのしつこい嫌がらせを受け、夫のエルカナと楽しそうに会話するペニナの子供たちの様子を見て耐えられなくなり、酔いつぶれたように見えても、無理もないことだったかもしれません。
年老いた大祭司エリは、イスラエル人を正しい道に戻す力のない、気の弱い無力な指導者でした。しかし、ハンナに対する誤解が解け、自分と同じように深い悩みを抱え、イスラエルの神、ヤハウェに身を預けて祈っていたことを悟ると、態度が一変しました。「安心して帰りなさい。イスラエルの神が、あなたの乞い願うことをかなえてくださるように。」
驚いたことに、名も無い一人の女性の、ハンナが、神様に一番近い位置にいる、たった一人しかいない、イスラエルの大祭司から「願いが叶う」という言葉を受けました。ハンナにしてみると、神様の声を直接、聞かされたも同然のことで、ここで自分の戦いが終わり、勝利したと確信しました。この段階でもらったのは言葉に過ぎませんでしたが、「ハンナの表情はもはや前のようではなかった」と書いています。
「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか。」「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」これはハンナの時代から千年以上もたってからイエス様が言った言葉ですが、ハンナは信じる人のお手本になって気持ちを入れ替えました。更に、これは単なる気休めに終わることなく、ハンナに待望の男の子が産まれました。サムエルという名前をつけられたこの子供は、イスラエルの歴史の流れを変える人物に育ったのは、前回お話した通りです。
辛い悩みを抱えているのはハンナばかりではなく、大なり小なり、ここにいる私たち皆です。「信じるなら、神の栄光が見られる。」「イスラエルの神が、あなたの乞い願うことをかなえてくださるように。」今後の人生に何が起きるのかを楽しみにしながら、お一人お一人に贈られた聖書の言葉として受け止め、今日の一日を迎えるようにしましょう。
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