2024年3月1日 卒業式 「次の代に託された夢」

202431日 卒業式

「次の代に託された夢」

申命記316

「強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない。」 

子供が大人になるまでに通らなければならない道はとても長く、年月の数では、大人として過ごす時間よりはるかに短いとは言うものの、覚えてもいないほど小さい頃から始まる過程なので、これまでの十八年を振り返ると、一生分と思えるほどの思い出が詰まっていることと思います。今日は、生まれて初めての卒業式ではありません。成長の通過点として、とても大事だった小学校や中学校の卒様式もありました。しかし、その時は卒業したからと言って、これと言った自由が得られた訳ではありません。次の学校に進んでもいろいろな束縛があり、窮屈に思うことも多かったと思います。対照的に、この日の卒業式には決定的な違いがあります。経済的自立はまだ遠く、進もうとする世界にも様々な制約があるかもしれません。しかし、管理を受ける子供として過ごしてきた日々は、この日を境に終了します。

これからは、独自の存在として役に立つ人間になる必要に迫られ、同年代とほぼ同じことを学ばされてきた今までと違って、周囲の人たちと違うことを学び、自分にしかない専門性を極める過程が始まります。姿や恰好に制限がかかり、思うようにセンスを表現できなかった日々も終わり、だれにも強制されることのない、自分に良いと思う描き方ができる人生が始まります。その一方、進むべき道にコースを表示する物はありません。朝起こす人も、門限を強制する人もいなくなります。このような自由を手にする皆様には、多少の不安があるのも否定できないと思います。

昨年の四月から毎週、月曜日の礼拝で、イスラエル人の奴隷解放と荒野での旅の物語、旧約聖書の出エジプト記から学んできました。古代文明の中で、ナイル川のおかげで洪水や干ばつの影響を受けにくく、浮き沈みの少ない、安定した豊かさを誇っていたのはエジプトでした。その国で奴隷生活を強いられたイスラエル人たちは、過酷な労働に苦しみながら、食べ物と飲み水に不足することはありませんでした。

 エジプト脱出の主人公であるモーセは、神様からの命令を受け、エジプト人による束縛を振り切り、イスラエル人の出国を成功させます。共に目指すのは、乳と密が流れる約束の地で、彼らは気持ちを一つにして心を躍らせます。しかし、自由になったことを喜ぶ彼らは間もなく、そのことに代償があることに気が付きます。約束の国に行くには、水にも食料にも乏しい、荒野を渡る必要があり、エジプトで体験した食文化が恋しくなります。直面する状況に一喜一憂するイスラエル人は、指導者モーセに不満をぶつけ、奴隷だった場所のエジプトに戻ろうと言って騒ぎ立てます。

人は自由になって夢の実現に向かう生活に憧れます。しかし、ついに、待ちに待った自由が手に入ると、それを効果的に活用する方法を学ばなければならないことに気が付きます。理想を現実に移そうとすると、困難を前にして諦め、他人が敷いたレールに戻り、そのレールに乗ったまま人生を終える人が多くいます。今日、卒業する皆様には、それとは違う生き方を期待しています。東奥義塾で授かった教育は、人生の荒波に耐え、挫けることなく理想に向かって進み、先輩たちが成し得た成果を超えようとする力を備えてくれます。平凡に甘んじることなく、はるかかたなにある高嶺を目指してください。

年老いたモーセは最後まで気力を失うことなく、いたって元気に過ごしました。しかし、約束の国にはついに足を踏み入れることなく、荒野で息絶えました。その時のモーセに与えられた唯一の慰めは、ピスガの山頂に登り、山の上から約束の国を見渡すことでした。旧約聖書の申命記の最後に次の言葉あります。「モーセは・・・エリコの向かいにあるピスガの山頂に登った。主はモーセに、すべての土地が見渡せるようにされた。・・・主はモーセに言われた。『これがあなたの子孫に与えるとわたしが・・・誓った土地である。わたしはあなたがそれを自分の目で見るようにした。あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない。』」

 最終目的を果たすことなく人生を終え、次の代に夢を託すことになったモーセは、岩住宗教主事が先ほど読んでくださった言葉をイスラエルの若者たちに贈りました。「強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない。」

 皆様は入学する前に「東奥義塾はより良い世界を作るリーダーを育てる学校だ」という言葉を聞いたと思います。大人である私たちは、そのような世界を作るのが、いかに難しいかを知っています。しかし、皆様はこの三年間、その実現に向けて鍵となる真理を学ぶことができました。つまり、すべての人間に、神様から与えられた命があり、何よりもそれを尊い物として守らなければならないと学びました。更に、心を正直に見つめるなら、誰にも何かの罪があり、それを赦してもらう必要があるから、他の人の罪をも赦さなければならないと学びました。最後に、道半ばで死に絶えることがあっても、その先に復活があり、希望を失ってはならないと学びました。

 人類が置かれている境遇には百年前に比べると見違えるほど良くなっている部分が数多く見られます。世界のどの国に行っても、昔と比べ物にならないほど人は健康で、栄養状態も良く、長生きしています。しかし、この三年間を振り返ると、比較的平和だった世の中が戦争状態に戻り、どの国にも平和を実現してくれそうなリーダーが見当たりません。27年も投獄されながら信念を曲げることなく、南アフリカの黒人の解放を勝ち取ったネルソン・マンデラの話は有名ですが、先月の16日に、勇気あるロシアの活動家、アレクセイ・ナワリヌイは、北極圏の厳しい寒さの中で獄死しました。

勇敢に戦う正義の味方が勝つとは限りません。暴君の前に跪き、不正を見ても見ぬふりする方が賢いと思える時はいくらでもあります。奴隷になるのは鎖につながれた人とは限りません。人はしばしば、必要最低限の物さえ手に入るなら自由を捨て、他人の都合に合わせて生きる生活を受け入れます。だからこそ、新約聖書に次の言葉があります。「自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。」

卒業生の皆様。ご卒業、おめでとうございます。今日までは、難しい選択に悩まされることの少ない、親や教師が用意してくれた道を歩んで来ました。明日からは大学、専門学校、企業などに進み、自分で選んだ道を歩むことになります。送り出す私たちは、皆様に東奥義塾の夢を託し、一人一人の姿を遠くから眺めることになります。しかし、どんな困難に遭っても、与えられた自由を手放さないでください。周囲に流されそうになった時は、間違った行動を取る集団から離れる勇気を発揮してください。その一方、「これ」と確信した道を発見したら、躊躇することなく突き進み、やめさせようとする声には耳を貸さないでください。東奥義塾の卒業生に相応しい存在として羽ばたき、より良い世界を作る活躍をしてください。

保護者の皆様。ご子息、ご息女のご卒業、おめでとうございます。十八年余り続いた子育ては大きな節目を迎えました。お子様の一歩一歩に気を配りながら過ごして来た日々は、今となって大きな実りをもたらしました。恐る恐る抱き上げたあの小さな命は、今となって自信に漲り、人生を自分の責任で歩める、立派な姿で高等学校を卒業することになりました。保護者様の夢と期待を背負いながら、一家の誇るべき代表として、力強い歩みを続けて行くと固く信じています。

ご来賓の皆様。今年度も私たちの卒業式にご列席いただき、まことにありがとうございます。普段から我が校を深く心に留め、教職員である私たちをご指導いただき、今日、卒業するお一人おひとりをこの三年間、励まし、支え、暖かく見守ってくださったことを、心から感謝申し上げます。今後も、卒業する生徒の後輩たちにも、特別な目を注いでくださるよう、心からお願い申し上げます。

今日ここに集まり、ここから出て行く尊いお一人おひとりの上に、神様の豊かな祝福があることを祈り、式辞といたします。

                     202431

                   東奥義塾高等学校

            塾長 コルドウェル ジョン 

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