2024年2月26日 礼拝説教 「同行してくださる神」

 2024226日 礼拝説教

「同行してくださる神」

出エジプト記331節、3節~4節、12節~15節、17節、34章1節

1節              主はモーセに仰せになった。・・・・・・・・・・・・・・・

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3節              あなたは乳と蜜の流れる土地に上りなさい。しかし、わたしはあなたの間にあって上ることはしない。途中であなたを滅ぼしてしまうことがないためである。あなたはかたくなな民である。」

4節              民はこの悪い知らせを聞いて嘆き悲しみ、一人も飾りを身に着けなかった。

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12節         モーセは主に言った。「あなたはわたしに、『この民を率いて上れ』と言われました。しかし、わたしと共に遣わされる者をお示しになりません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

13節         ・・・どうか、この国民があなたの民であることも目にお留めください。」

14節         主が、「わたしが自ら同行し、あなたに安息を与えよう」と言われると、

15節         モーセは主に言った。「もし、あなた御自身が行ってくださらないのなら、わたしたちをここから上らせないでください。

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17節         主はモーセに言われた。「わたしは、あなたのこの願いもかなえよう。わたしはあなたに好意を示し、あなたを名指しで選んだからである。」

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34

1節              主はモーセに言われた。「前と同じ石の板を二枚切りなさい。わたしは、あなたが砕いた、前の板に書かれていた言葉を、その板に記そう。

卒業式の最後に、「神ともにいまして」という讃美歌を歌って卒業生を送り出すのが東奥義塾の伝統です。歌詞の内容は、また会う日まで神様が共にいてくださるようにとの祈りです。「目には見えないが、間違いなくそばにいてくださる。」これは何千年も前からイエス様を信じて来た人たちが持ち続けて来た確信であり、私もその思いに共感できます。信仰がある人が何よりも怖いのは、病気でも、事故でも、災難でもなく、神様がそばからいなくなり、神様に捨てられたと感じる時です。逆を言えば、神様がそばにいるという確信さえあれば、怖い目に遭っても、恐怖に飲み込まれることはありません。

イスラエル人を民族ごと滅ぼすと言った神様は、モーセが必死にとりなした結果、思い直すことにしました。しかし、偶像崇拝の罪を犯した彼らへの怒りはなかなか収まりませんでした。神様の思いは次の言葉で、モーセに伝わりました。「滅ぼすのをやめる。乳と密が流れる国を約束通りに与えよう。しかし、これまでのようにお供をすることはできません。自分たちで勝手に行きなさい。」

都合が悪くなると文句ばかり言って神様を困らせたイスラエル人は、この言葉を聞いてとても焦りました。自由を勝ち取ったとは言うものの、ナイル川のほとりで過ごす奴隷生活に慣れてしまった彼らにとって、荒野で過ごす生活は心細いものでした。両親にわがままを言って困らせた経験があるなら、その気持ちはわかるかもしれません。お出かけ中にごねて、言うことを聞かない子供に、親が「バイバイ」と言って離れると、泣きながら後を追って来るのを見たことがあると思います。イスラエル人の心境は、そのような子供に似ていました。

エジプトを出た時から、雲の柱と火の柱は彼らを離れることなく、そばにいる神様の存在を示す物として前に進みました。「この先はどうなるかわからない。ただ、海の中を通って来た時の様に、食べ物と飲み水が与えられた時の様に、襲って来る敵を撃退した時の様に、神様は何とかしてくれる。」そう思っていたので、エジプトでの生活の方が楽だと言って愚痴をこぼす彼らも、神様に捨てられたという知らせを聞くと、パニックに陥りました。

今度も、神様の説得に当たったのはモーセでした。「いくら、わがままでも、あなたご自身が選んだ民ではないですか。一緒に行ってくださらないと言うなら、ここからどこにも行けません。」イスラエル人に懲り懲りだった神様も、モーセの言うことには弱かったです。この杖一本しか持っていない臆病だった人は、神様が無理を承知で出した一つ一つの指示に従い、古代最強の帝国、エジプトの支配からイスラエル人を導き出しました。両者の信頼関係はとても強く、モーセの言葉に、全知全能の神の心を揺さぶる力がありました。

 間もなく、神様の言葉が返って来ました。「安心しても良い。わたしは自ら、あなたがたと共に行きます。」契約を刻み直す石板の用意も命じました。次の世代のイスラエル人に、更に強い言葉が贈られました。「あなたの神、主は、あなたを見放すことも、見捨てられることもない。」肝心な時に逃げて、何の頼りにもならなかった弟子たちに向けられたイエス様の最後の言葉も有名です。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」頼りにならないひ弱な私たちですが、どこに行くように導かれても、最後まで頼りになるお方が付いています。これは聖書の中にある、最も大事な教えの一つです。

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