2023年12月4日 礼拝説教 「父母を敬う思い」

 2023124日 礼拝説教

「父母を敬う思い」

出エジプト記201節、8~9節、12

1節              神はこれらすべての言葉を告げられた。

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8節              (四番)安息日を心に留め、これを聖別せよ。

9節              六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、

10節         七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。

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12節         (五番)あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。

四番目の戒めの、安息日を守ることについては前にお話しました。今日はその話をしませんが、一つだけ注目して欲しいことがあります。安息日は余裕のある人たちに限って楽しむ休日ではなく、奴隷をも、家畜をも、外国人労働者をも働かせてはならない日でした。休む権利は、身分の低い人にも、よそ者にも、動物にも与えられました。 

五番目の戒めは私が子供の頃、一番嫌っていた戒めでした。テレビを見せてくれない、映画館に入ることを許さない、聖日の日曜日に友だちと遊ばせてくれない、指示に従わないと厳しい体罰を加える親の抑圧的な指導に耐えられないものがあったからです。これに拍車をかけるように、聖書にある神様からの掟としてこの戒めを持ち出されると、呼吸困難を起こしそうな気分に襲われました。

このようなこともあってか、親から早く自立したいという思いが強かったです。結婚したのも早く、長男が生まれたのは23歳の時でした。子育ての知恵はありませんでしたが、並みのお父さんより体力があったので、子供といる時間はとても楽しかったです。どの親も同じだと思いますが、「この子供に代わって死ねるか?」と尋ねられたら、迷わずに「はい」と言えるほど、可愛い存在でした。

わがままを言われて叱る事があっても、子供が憎いという気持ちにはなれませんでした。1歳を過ぎて外に出て一緒に散歩するようになりましたが、子供は進みたい方向を強く主張するので、手をしっかりと握る必要がありました。ある時、自動車が何台も行き交う通りに近づくと、子供は道の反対側の渡ろうと、私の手を強く引きました。危ないので引き留めると、危険を理解できない子供は激しく抗議して泣きました。その時、子供を自由にしたらどうなるかについて考えさせられました。好きにさせたら、自動車にひかれて即死するのは明らかでした。しかし、子供にそのことが分かるはずもなく、私への不満ばかりを露にしました。

以前、勤めた職場にインド人の同僚がいました。ある日、本国に帰って結婚すると言いました。結婚相手に会ったこともなく、その選択はすべて両親に任せ、自分の意思が全く入っていないと聞かされてびっくりしました。「それで大丈夫なの?」と尋ねると、次のような返事が返って来ました。「両親はだれよりも自分を強く愛している。私のために最高の相手を選ばないはずはあるか。」厳しかった私の両親も、結婚については自由にさせてくれましたが、同僚のこの理屈には反論できませんでした。

誰の言う事も聞かないで生きようとする人は、いつか必ず、社会からはじき出され、不幸な人間になります。五番目の戒めは私たちの幸せのために、特定の人を敬い、その人の指示に従うように教えてくれます。このことを学ばせるためにはまず、命を差し出してくれるほど愛してくれる父母を敬うように指示していることに大きな意味があります。

人をマインドコントロールして、自分の利益のために、思い通りに従わせようとする人もいます。そのような人と出会った時、敬うべき人なのかを測る基準になるのは自分の両親です。父母が自分のことを思ってくれたほど、この人は自分のことを思ってくれているだろうか。十戒はそれを基準に生きると、幸せに長生きできると教えています。

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