2023年12月11日 礼拝説教 「十分に与えられた恵」

 20231211日 礼拝説教

「十分に与えられた恵」

出エジプト記201節、13節~15

1節           神はこれらすべての言葉を告げられた。

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13節       (六番)殺してはならない。

14節       (七番)姦淫してはならない。

15節       (八番)盗んではならない。

もう、とっくに悟っていることかと思いますが、世の中は平等ではありません。幼稚園の頃に気付いた人も多いと思いますが、運動会の徒競走でいくら頑張っても勝てない相手がいます。持っているゲームの数が、自分の何倍にものぼる子供がいます。性格が意地悪なのに、顔が可愛いから、いつも自分より注目される子供がいます。努力を積み重ねて差を縮められる場合もありますが、年とともに、その差が増々広がることもあります。

「盗人にも三分の理」という諺があります。ほとんどの犯罪者は、捕まらない内は反省しません。何かの理屈をつけて人の物を奪うことを正当化します。特に悪質なのは、自分が強くて偉いから、弱くて劣っている人間から物を奪う権利があると考える人です。このような人は、よほど痛い目に合わないと態度を改めません。もう少しマシとも言える泥棒は、不公平をなくす努力をしていると主張します。必要以上に持ち物がある人から物を奪うのは、公平な社会を作る上で必要なことだと言い張ります。

神様がイスラエル人に与えた十戒は、このような考えを一切、認めません。まずは、最も基本的な物として、人の命について教えています。どのような人であっても、命があるなら、その命は神様から与えられた尊い物です。同じように命を受けた者として、どのような理由があっても、それを奪う自由は誰にもありません。

次は結婚相手についてです。妻や夫は自分の努力や、運が良かったから獲得したのではなく、命の次に大事な人間として神様から与えられたと教えています。相思相愛であろうと、何であろうと、神様が他の人に与えた大事な人を奪い、自分に与えられた妻や夫を悲しませるのは許されない事です。

聖書は持ち物があるのも神様の恵によることで、そもそも権利として主張できることではないと教えています。もちろん、豊かな生活をしている人が、貧しい人に対して重い責任があると教えています。しかし、同時に神様から与えられた物に満足して感謝することの大切さを教えています。自分と他人の持ち物や立場に大きな違いがあるように見えても、それは表面的にしか見えない人の見方であり、神様の見方ではありません。

幸せそうに見える人に、どんな悲しみや不幸があるかは、私たちに知り得ないことです。可哀そうに見えても、勝手に哀れだと決めつけてもいけません。人の心にどのような、豊かで幸せな世界が広がっているかは、誰にも知り得ないことです。神様は人の裏も表も、外見も中身をも、すべて知り尽くしています。それぞれの人間に何が必要かを知っている神様は、一人ひとりに必要な物を与えます。

新約聖書の神学的な教えの大部分を書いたパウロは、家族も、持ち物も、住む場所もない人でした。ある時、神様に真剣な願いごとをしました。三回祈った後に神様から次の答えを受けました。「わたしの恵はあなたに十分である。」同じ手紙の中で次のようにも言っています。「私たちは・・・悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。」

「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。」神様の有り余る恵の深さを知っている人にこそ、この掟の本当の意味が鮮やかに伝わります。

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