2023年11月27日 礼拝説教「目に見えない神の姿」

 20231127日 礼拝説教

「目に見えない神の姿」

出エジプト記201節、4節~5節、7節

1節           神はこれらすべての言葉を告げられた。

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4節           (二番)あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。

5節           あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

7節           (三番)あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。

ヤハウェという神様は、特別な関係を結ぼうとしてイスラエル人に近づきました。火と煙の中から雷のよう声で話しかけましたが、目に見える姿を現そうとはしませんでした。少し後の話になりますが、あのモーセでさえ神様に「お願いです。お姿を見せてください。」と頼みました。しかし、返って来たのは「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからだ。」という答えでした。

世界各地に住む人間は、はるか昔から、自然界を治め、命を与え、善と悪を定める存在があるという意識を持ち続けてきました。しかし、目に見えない存在であることにとまどい、それに代わる物として銅像や彫刻を作り、それらに向かって手を合わせてきました。簡単に作れる魔除けのような物を飾ることもあれば、多額のお金と、大変な労力をかけ、誰が見ても圧倒される、巨大な像を立てることもありました。

エジプト人にはたくさんの神々がありました。その多くは人間の身体に動物や鳥の頭をのせた生き物として描かれ、彫刻として祭られました。ヤハウェの神様は知っていました。自分だけを神とするように命じても、イスラエル人は目に見える物にこだわり、エジプトで見た偶像のような物を作ろうとするだろう。目に見えないご自分を、目に見える次元の低い、自然界にある物に似せ、人間の手で作られた物を拝むようになるだろうと考えました。

ヤハウェはそのようなことを嫌い、そのような物を造ってはならないとお命じになりました。どれほど仕上げの良い、美しい物であっても、本当に礼拝すべき神様に代わって、金属や石や木でできた、人間が造った物に手を合わせるのは許せないことでした。更に、ヤハウェはご自分の名前にも、こだわりを見せました。願いがかなったり、危険を避けたりするため、神様の名前を呪文のように繰り返して唱えることをも禁止しました。

神様はイスラエル人に、人間同士が交流するような、心と心が通い合う関係を求めたため、人間の都合で操れる偶像や、呪文のセリフに置き換えられるのは、耐えられないことでした。「私はそのような物ではないし、そのような扱いを受けることを拒否する。」二番目と三番目の戒めに、神様のそのような思いが込められています。

後に、外国人から「あなたがたの神はどこにいるのだ?」と尋ねられたイスラエル人は、次の様に反論しました。「わたしたちの神は天にいて、思いのままに動く。あなたがたの偶像は金や銀でできているが、人間が造った物に過ぎない。口があっても話せない。目があっても見えない。耳があっても聞こえない。手があってもつかめない。足があっても歩けない。このような物に頼る人は、拝んでいるその偶像と同じようになるだろう。」

しかし、新約聖書に入るとイエス様は次の様に言っています。「心の清い人々は幸いである。その人たちは神を見る。」更に、イエス様の弟子だったヨハネも言いました。「いまだかつて神を見た者はいない。しかし、わたしたちが互いに愛し合うなら、神はわたしたちの心の中にいてくださる。」

今週は定期試験で、三年生は次々と、将来がかかっている試験や面接に臨んでいます。たくさんの不安があると思いますが、聖書には目に見えない神様からのメッセージがあります。「恐れてはならない。うろたえてもいけない。あなたの神、主は、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもしない。」

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