2023年7月3日 礼拝説教 「雹の災い」

 202373日 礼拝説教

「雹の災い」

出エジプト記913節~14節、19節~21節、24節~27節、34節~35

13節       主はモーセに言われた。「明朝早く起き、ファラオの前に立って、彼に言いなさい。ヘブライ人の神、主(ヤハウェ)はこう言われた。『私の民を去らせ、私に仕えさせよ。

14節       今度こそ、わたしはあなた自身とあなたの家臣とあなたの民に、あらゆる災害をくだす。わたしのような神は、地上のどこにもいないことを、あなたに分からせるためである。

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19節       それゆえ、今、人を遣わして、あなたの家畜で野にいるものは皆、避難させるがよい。野に出ていて家に連れ戻されない家畜は、人と共にすべて、雹に打たれて死ぬであろう』と。」

20節       ファラオの家臣のうち、主の言葉を畏れた者は、自分の僕と家畜を家に避難させたが、

21節       主の言葉を心に留めなかった者は、僕と家畜を野に残しておいた。

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24節       雹が降り、その間を絶え間なく稲妻が走った。それは甚だ激しく、このような雹が全土に降ったことは、エジプトの国始まって以来かつてなかったほどであった。

25節       雹は、エジプト全土で野にいるすべてのもの、人も家畜も残らず打った。雹はまた、野のあらゆる草を打ち、野のすべての木を打ち砕いた。

26節       ただし、イスラエルの人々の住むゴシェンの地域には雹は降らなかった。

27節       ファラオは人を遣わし、モーセとアロンを呼び寄せて言った。「今度ばかりはわたしが間違っていた。正しいのは主であり、悪いのはわたしとわたしの民である。

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34節       ファラオは、雨も雹も雷もやんだのを見て、またもや過ちを重ね、彼も彼の家臣も心を頑迷にした。

空から氷の塊が降って来るので、雹は寒い地方で、寒い時期に降りそうな気もしますが、日本の雹による被害が多いのは6月です。112年前の67日、東奥義塾の近くにある堀越にミカンほどの大きさの雹が降り、農作物に大きな被害がありました。1986年の414日、バングラデシュのゴパルガンジに1キロの重さがある雹が降り、100人近くの人が死にました。去年の1025日、雨がほとんど降らないエジプトの首都、カイロにも雹が降り、街の中が大混乱になりました。

雹が降るのは、雷雲ともいう、積乱雲が発生する時です。下から上に吹く上昇気流が起きます。その風に水分が乗り、氷点を割る高さまで昇ると小さな氷の粒ができます。この粒が落ちて来ると、下から吹いて来る強い風に再び押し上げられ、その間に付着した水滴が凍って氷の粒が大きくなります。これを何度も繰り返す内に大きな塊になり、風に支えられないほど重くなると雹として地面に落ちます。大きな雹は時速100キロ以上の速度で襲ってきます。

これまで、エジプトを六つの災いが襲いました。エジプト人もファラオも嫌な思いをしましたが、七つ目の災いから神様は一気に圧力を上げてきました。ファラオは約束したことを守ることなく、心変わりするチャンスを逃し、イスラエル人を奴隷にして苦しめた罪にもう一つの重い罪を加えました。それは神様の働きかけを無視して、全知全能の神に逆らうという大罪でした。

七つ目の災いから災難の目的が変わりました。「わたしのような神は、地上のどこにもいないことを、あなたに分からせるためである。」どんなに働きかけてもファラオはイスラエル人を自由にする意思はありませんでした。そのことを悟ったヤハウェは、自分の名誉にかけてエジプト経済の壊滅に乗り出しました。エジプト人の生活は動物を飼育していたイスラエル人と違って、ナイル川の水を頼りに作物を育てることで成り立っていました。七つ目と八つ目の災いは、雨が降らなくても育つエジプトの作物を標的にしました。

人を死なせるほど大きな雹が降ると聞いたファラオの家臣たちの間に分裂が起きました。モーセの言葉を信じた家臣たちは動物や使用人を避難させましたが、ファラオと思いを共にする家臣たちは気にも留めませんでした。「今度ばかりはわたしが間違っていた。正しいのは主(ヤハウェ)であり、悪いのはわたしとわたしの民である。」七つ目の災いはファラオをビビらせました。これまで抵抗していた神は、氏神様程度の、ローカルな存在ではなく、大自然を意のままに動かせる、天地創造の神であることを認識し始めました。

ラッキーセブンという言葉がありますが、聖書の中の7つは「完全」を表す数字です。七つ目の災いに屈して悔い改めたなら、ファラオは神様の赦しを受けたでしょう。しかし、雹が止むとこれまでと変わらない、頑固なファラオが復活しました。話の続きを読むと、この機会を逃したファラオはここで決定的な過ちを犯したことがわかります。この時点で、悔い改めるという選択肢を失いました。ファラオは不幸なことに、救われる人ではなく、愛と哀れみの神を拒む人のお手本となり、自分ばかりか、自分の民の上に大きな災いを招くことになります。

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