2023年6月19日 礼拝説教 「神と勝負する魔術師たち」

 2023619日 礼拝説教

「神と勝負する魔術師たち」

出エジプト記710節~11節、20節~22節、82節~4節、12節~15

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10節         ・・・アロンが自分の杖をファラオとその家臣たちの前に投げると、杖は蛇になった。

11節         そこでファラオも賢者や呪術師を召し出した。エジプトの魔術師もまた、秘術を用いて同じことを行った。

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20節         ・・・川の水はことごとく血に変わり、

21節         川の魚は死に、川は悪臭を放ち、エジプト人はナイル川の水を飲めなくなった。こうして、エジプトの国中が血に浸った。

22節         ところが、エジプトの魔術師も秘術を用いて同じことを行ったのでファラオの心はかたくなになり、二人の言うことを聞かなかった。

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2節              アロンがエジプトの水の上に手を差し伸べると、蛙が這い上がってきてエジプトの国を覆った。

3節              ところが、魔術師も秘術を用いて同じことをし、蛙をエジプトの国に這い上がらせた。

4節              ファラオはモーセとアロンを呼んで言った。「主に祈願して、蛙がわたしとわたしの民のもとから退くようにしてもらいたい。」

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13節         ・・・アロンが杖を持った手を差し伸べ土の塵を打つと、土の塵はすべてぶよとなり、エジプト全土に広がって人と家畜を襲った。

14節         魔術師も秘術を用いて同じようにぶよを出そうとしたが、できなかった。ぶよが人と家畜を襲ったので、

15節         魔術師はファラオに、「これは神の指の働きでございます」と言ったが、ファラオの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞かなかった。

エジプトの神殿とファラオの宮殿には、一般人の目に触れてはならい貴重な書物がありました。それはエジプト魔術の手引書であり、その内容を知り尽くしていた魔術師の地位はとても高い物でした。これまで彼らは、ヘブライ人の神、ヤハウェは大したことがないと証明するためにモーセと同じことをして、ファラオを安心させようとしました。しかし、魔術師たちの役割はそもそも、正確に暗記した呪文や儀式を使ってエジプトを災難から守ることでした。赤く染まったナイルの水を元に戻すか、カエルを退治させるなら、エジプト人の役に立ったと言えるでしょう。しかし、彼らの限界はヤハウェの災いを真似することで、困っていたエジプト人を助けることはできませんでした。

手品は単なる遊びなので問題はないかと思いますが、聖書は魔術を禁止しています。魔術は人に与えられた自然の境目を超える、超自然の力を思うように動かそうとすることです。これは人間ではなく、神の領域なので、超自然を都合よく操ろうとする人はひどい目に合います。聖書には数々の奇跡が記されていますが、どれを取っても人間の気まぐれによるものではなく、主人公はいつも全知全能の神です。聖書は祈るように教えていますが、その答えは祈った人のわがままではなく、神様のみ心を実現させる物として記されています。

人は数々の、神様からのメッセージと思われる出来事に出会います。生き方や態度を変えないと大変なことになると知らされ、素直に聞く人はそれを受け入れ、救われます。しかし、信じようとしない、自己反省する意思のない人にどんなメッセージが届いても、心を変えようとしません。仮に、神様の声が耳に響いても、目に見える形で姿を現してもダメです。信じないで、あくまでも自分のわがままを通そうとする人は、何らかの理屈をつけてそれを否定します。

先週、読み始めたのは十の災いの物語です。神様が耳を傾けようとしないファラオに少しずつプレッシャーをかけ、最後はイスラエル人を解放させるまでの話です。ファラオへのご挨拶として杖が蛇に変わった場面から始まり、ナイル川の水を飲めないようになった最初の災いと続き、それからカエルの災いがありました。この二番目の災いまで、エジプトの魔術師たちに余裕がありました。「この程度のことなら自分たちにもできる」と思いました。

三番目の災いはブヨでした。ブヨは蚊やアブのように人の血を吸いますが、皮膚を嚙み切って刺すので、皮膚から血が出たり、水膨れになったり、大きく腫れたり、場合によっては高熱が出るのでとても厄介な虫です。ブヨの発生を見て魔術師たちはこれまで体験したことのない、次元の違う力と対面していることに気が付きました。プロの魔術師としてのプライドもあったことでしょうが、素直になってファラオに伝えました。「これは神の指の働きでございます。」

カエルの災いの時、少しは動揺したファラオでしたが、側近たちのこの言葉には全く動じませんでした。風向きが悪くなって来たとうすうす感じていたかもしれません。しかし、この時のファラオは信じようとしない人の、お手本のような振る舞いを続けました。「ファラオの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞かなかった。」しかし、災いが七つも残っていました。ヤハウェに抵抗するファラオの境遇はますます辛くなって行きます。

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