2023年5月24日 礼拝説教 「私はいる」

 2023524日 礼拝説教

「私はいる」

出エジプト記313節~17

13節         モーセは神に尋ねた。「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」

14節         神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」

15節         神は、更に続けてモーセに命じられた。「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣わされた。これこそ、とこしえにわたしの名

16節         これこそ、世々にわたしの呼び名。行って、イスラエルの長老たちを集め、言うがよい。『あなたたちの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である主がわたしに現れて、こう言われた。わたしはあなたたちを顧み、あなたたちがエジプトで受けてきた仕打ちをつぶさに見た。

17節         あなたたちを苦しみのエジプトから、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む乳と蜜の流れる土地へ導き上ろうと決心した』と。

子供が生まれると名前を付けます。そうしないと、他の子供と区別が付かないからです。「こんにちは赤ちゃん」という歌がありますが、世の中に一人しかいなければ「赤ちゃん」で十分で、名前はいりません。天文学者が星に名前を付けるのも、夜空に無数の星があるからで、一つしかない太陽や月には付けません。たくさんいたエジプト人の神様にも、それぞれ名前が付いていました。エジプトに戻ろうとしたモーセは、自分を遣わした神様の名前を聞かれたらどうしようと思いました。しかし、太陽や月に名前がないのと同じように、モーセに声をかけた神様にも、名前と言えるほどの呼び名はありませんでした。

苦肉の策に、神様はヘブライ語で次のように答えました。「エヒイェー・アシェル・エヒイェー。」英語に直すと「I am who I am」になりますが、関係代名詞がない日本語には訳しにくい言葉です。意味的に近いのは「私はいる」という日本語です。わたしたち人間は間違っても「いる」と名乗ることはできません。特定の場所にしかいられないし、今はいても、生まれる前はいなかったし、いつまでここにいるかもわからないからです。モーセを遣わしたのは、いつも、どこにも「いる」お方でした。

 科学者たちの推測によると、138億年前にあったビッグバンという出来事から始まって、ピンの先より小さい物から、宇宙にあるすべての物が広がって行きました。最新の科学技術を使うと、ビッグバンが起きてからの、一秒以内のことまでわかるそうですが、それより前の事になると何もわかりません。今ある物のすべてが、なかったかどうかもわかりません。しかし、神様とモーセのやりとりの中から、一つの答えが見えて来ます。宇宙が始まる前の、何もなかった時にもいたのは、「私はいる」というお方でした。

 イスラエル人はこのようにして天地創造の神様から自己紹介を受け、このお方を「ある」という意味の「ヤハウェ」と呼びました。しかし、口に出すのも恐れ多いと感じたイスラエル人が、聖書を読んで「ヤハウェ」という単語を見ると「アドナイ」と読み替えるようになりました。日本語の聖書では主人の「主」と書き換えていますが、中国語の聖書にはそのまま「耶和華」、つまり「ヤハウェ」になっています。

 地球の命はすべて、太陽からのエネルギーを元に生かされています。太陽には130万個の地球と同じ体積があり、その重力があまりにも強いので、毎日、地球では起こり得ないことが起きています。つまり、無数にある水素原子が融合しあって強力なエネルギーを放出しています。しかし、その水素原子にも限りがあり、いずれは太陽も燃え尽きます。50億年先のことなので、100年の命もない私たちが心配してもしょうがないことですが、確実に言えるのは、私たちが目で見て、手で触れるすべての物が、いずれはなくなるということです。

 その時になって何が残りますか。新約聖書に「かつておられ、今おられ、やがて来られる方」、つまり「私はいる」というお方がいると書いています。不思議なのは、このような壮大なお方が、人間の悩みに関心を持っていてくださるということです。「あなたたちがエジプトで受けてきた仕打ちをつぶさに見た。」東奥義塾の生徒の、生まれてから今に至るまでの、辛かった時の思いを全て知っている、そのお方は今日も、この場所で、私たちに語り掛けてくださいます。「私はいる。苦しみの中からあなたたちを導き出すのはこの私である。」

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