2023年4月17日 礼拝説教 「小さな命を見守る神」

 2023417日 礼拝説教

「小さな命をも見守る神」

出エジプト記117節~122

17節       助産婦はいずれも神を畏れていたので、エジプト王が命じたとおりにはせず、男の子も生かしておいた。

18節       エジプト王は彼女たちを呼びつけて問いただした。「どうしてこのようなことをしたのだ。お前たちは男の子を生かしているではないか。」

19節       助産婦はファラオに答えた。「ヘブライ人の女はエジプト人の女性とは違います。彼女たちは丈夫で、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」

20節       神はこの助産婦たちに恵みを与えられた。民は数を増し、甚だ強くなった。

21節       助産婦たちは神を畏れていたので、神は彼女たちにも子宝を恵まれた。

22節       ファラオは全国民に命じた。「生まれた男の子は、一人残らずナイル川にほうり込め。女の子は皆、生かしておけ。」

生まれたばかりの赤ちゃんと、学校に通っている子供と、仕事をしている大人の命に順位を付けるとしたら、価値が一番あるのはどちらでしょうか。現代の世の中でこのようなことを聞くと、「何を言うんだ。命は皆、同じように大切だ。」と言って怒られますが、昔からそうだった訳ではありません。古代ギリシャのスパルタで、兵隊になれそうもない、病弱な男の子は容赦なく処分されました。各国の武将は負けた相手の娘を活かしても、後から敵討ちに合わないように、年が若くても息子たちを皆殺しにしました。

奴隷制度で成り立っていたローマ帝国の男性に、お金さえあれば数多くの女性に子供を産ませる権利がありました。生まれたばかりの赤ちゃんは、父親とされる男性の前で地面に寝かせられ、男性がその赤ちゃんを抱き上げたら、その家の子供として認められ、育ててもらえました。しかし、それを拒んだら、赤ちゃんは野外に捨てられ、衰弱死するか野生の動物の餌食になりました。初代のキリスト教が急速に伸びた理由の一つは、キリスト教徒たちがこのような捨て子を保護して育てたからだと言われています。

日本の場合は、幕府も善良な藩主たちもやめさせようとしましたが、江戸時代の農村に「間引き」という習慣がありました。自然に任せても、生まれて来る子供の半分くらいが伝染病や栄養失調で亡くなる時代だったので、生まれて間もない子供の命を奪うことにさほどの罪悪感がなかったのかもしれません。しかし、助産師の役目は出産直後に、望まれる子供の命を活かし、望まれない子供の命を絶つことでした。この習慣が完全になくなったのは明治時代に入ってからです。

近代になって、生まれてから赤ちゃんの命を奪うのを正当化する国がなくなりましたが、それに代わって、生まれる前に赤ちゃんの命を奪う技術が進み、日本では母体保護法で認められています。刑法では堕胎罪として禁止されていますが、この法律のおかげで、資格のある医者は女性の健康に被害の恐れがあると判断した場合、妊娠216日まで人口妊娠中絶手術を行うことができます。産むか産まないかの選択は、妊娠した女性の権利だと思うかもしれませんが、法律を厳しく守るなら、それほど単純な話ではありません。妊娠22週以降に中絶を行うと犯罪になりますが、妊娠21週でも、赤ちゃんらしい形になっていて、お腹の中で動いているのが分かる時期です。

今になっても中絶する権利についての議論が湧いているアメリカを遅れた国だと思う人もいるかもしれません。妊娠の原因を作るのは男性なのに、その負担の大半を女性が負うのは不公平だという理屈もよくわかります。しかし、黙っていれば半年以内に元気な赤ちゃんとして生まれる命の権利が、話題にもならないのも困ったものです。王様に見え過ぎた嘘をついてまで赤ちゃんの命を必死に守ろうとする助産師のシフラとプアは、神様から特別な恵みを受けたと書いてあります。「男の赤ちゃんをナイル川に放り込め」と命じたエジプトの王様は、結論から言うと、厳しい裁きを受けることになります。

聖書の違う箇所に、神様への祈りとして次の言葉があります。「あなたは、わたしの内臓を造り、母の胎内にわたしを組み立ててくださった・・・胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。」最も小さな命にも心を留める神様を覚えながら、自分たちも、極小さな命の一粒だった頃から今に至って、守られてきたことを感謝したいと思います。

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