2023年1月10日 始業礼拝「全世界を裁くお方」

2023110日 始業礼拝 

    「全世界を裁くお方」

創世記1816節~33

16節            その人たちはそこを立って、ソドムを見下ろす所まで来た。アブラハムも、彼らを見送るために一緒に行った。

17節            主は言われた。「わたしが行おうとしていることをアブラハムに隠す必要があろうか。

18節            アブラハムは大きな強い国民になり、世界のすべての国民は彼によって祝福に入る。

19節            わたしがアブラハムを選んだのは、彼が息子たちとその子孫に、主の道を守り、主に従って正義を行うよう命じて、主がアブラハムに約束したことを成就するためである。」

20節            主は言われた。「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。

21節            わたしは降って行き、彼らの行跡が、果たして、わたしに届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう。」

22節            その人たちは、更にソドムの方へ向かったが、アブラハムはなお、主の御前にいた。

23節            アブラハムは進み出て言った。「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。

24節            あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。

25節            正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」

26節            主は言われた。「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」

27節            アブラハムは答えた。「塵あくたにすぎないわたしですが、あえて、わが主に申し上げます。

28節            もしかすると、五十人の正しい者に五人足りないかもしれません。それでもあなたは、五人足りないために、町のすべてを滅ぼされますか。」主は言われた。「もし、四十五人いれば滅ぼさない。」

29節            アブラハムは重ねて言った。「もしかすると、四十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「その四十人のためにわたしはそれをしない。」

30節            アブラハムは言った。「主よ、どうかお怒りにならずに、もう少し言わせてください。もしかすると、そこには三十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「もし三十人いるならわたしはそれをしない。」

31節            アブラハムは言った。「あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、二十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「その二十人のためにわたしは滅ぼさない。」

32節            アブラハムは言った。「主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。もしかすると、十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「その十人のためにわたしは滅ぼさない。」

33節            主はアブラハムと語り終えると、去って行かれた。アブラハムも自分の住まいに帰った。

不思議な話が多い旧約聖書の中でも、この創世記の18章は奇妙なお話です。アブラハムの前に三人の旅人が現れ、その内の一人が神様だということが判明します。目に見えないはずの神様が、二人の従者と一緒にアブラハムからもてなしを受け、一年以内にサラに男の子が生まれると告げます。しかし、このように現れた神様に、もう一つの用事があります。アブラハムの甥のロトが住んでいるソドムとその隣にあるゴモラの街について悪い噂が聞こえているので、それが本当かどうかを確かめに来たと言います。

聖書は神様が目に見えないお方であるほか、同じ時にすべての場所にいて、知らないことが一つもないと教えています。しかし、この物語に登場する神様の様子はどこか違います。人間と同じ姿で現れ、知識も不確かなように見えます。しかし、この時にアブラハムは悟ります。「神様は罪を裁くお方としてやって来た。ソドムの街は間違いなく滅びる。」ソドムにいる甥が気になっていたアブラハムは不安に襲われます。「このままでは、ロトが危ない。」

アブラハムは前から知っていました。「家を出て私が示す地に行きなさい」と語り掛けた神様は恐ろしいお方です。アダムとエバをエデンの園から追い出し、すべての生き物を洪水で滅ぼしたそのお方です。どのようなデタラメをやっても、子孫も富も名声も与え、頼んだことを何でも叶えてくれる、生優しいお方ではありません。神様はアブラハムにはっきりと告げます。「祝福を与えると約束したのは、あなたが可愛いからではなく、息子たちと、その子孫に神様の道を守り、神様に従って正義を行うように命じる務めを与えるためだ。」恐れをなしたアブラハムは神様に向かって「全世界を裁くお方」と言います。

神様に対して、優しい愛に満ちたお方というイメージしかないと、このような個所に違和感を覚えます。しかし、神様は空から見下ろす、サンタクロースのような、甘ったるいお爺さんではありません。サンタクロースのようなイメージがあると、神様の愛と哀れみの本当の凄さは心に沁みてきません。神様は昔も今も「全世界を裁くお方」です。真冬の最中、抵抗できない市民の上に爆弾を落とす独裁者に対してもそうであるように、学校の中で卑怯な真似をして周囲を困らせる人に対しても、神様は「全世界を裁くお方」です。

それを知っていたアブラハムは、ソドムに代わって命乞いをしても無駄だと知っていました。裁こうと振りかざした神様の手を止めようとするなら、そのお方の絶対的な正しさに訴えるという方法しかありませんでした。「正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」神様の前にゴミのように小さく、価値のない存在だという自覚があったアブラハムは、迫って行く勢いで訴えかけます。

結論から言うとソドムの街は滅びました。曲りなりに正しいと言えたのはロト、ただ一人で、アブラハムが期待していた正しい人の数は、わずか十人にも満ちませんでした。しかし、この滅びと裁きの物語の中に、私たちの神様について大事なことを学びます。神様は裁くのをギリギリまで我慢します。滅ぼさない理由が少しでもあれば手をとどめます。すぐに「やってしまえ」と思う私たちとは違います。その一方、高をくくって悪いことをやめようとしない人の裁きは必ずやってきます。全世界を裁くお方は必ず正義を行います。」

「ハピーニューイヤー。」「良いお年を」と言いたいところですが、少しもハッピーではないお正月を迎えた人たちが何万人もいると思うと、気軽に言える言葉ではありません。一人の力を尽くしても、皆で力を合わせても、どう仕様もないように見えることがあります。しかし、このような私たちに勇気を与えるのは、最後までアブラハムの訴えに耳を傾けた神様ご自身です。祈りは宙に向かって空しく消えて行く言葉だと思わないでください。最後の最後まで、私たちの切実な思いに付き合ってくださるお方がいます。それを信じて、より良い世界と、幸せと思える一年に向かって、力強いスタートを切りたいと願います。

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