2022年11月28日 礼拝説教 「間違いを正解にする神」

 20221128日 礼拝説教

「間違いを正解にする神」

創世記167節~12節、15節、17

7節                  主の御使いが荒れ野の泉のほとり、シュル街道に沿う泉のほとりで彼女と出会って、

8節                  「サライの女奴隷ハガルよ。あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのか。」「女主人サライのもとから逃げているところです」と答えると、

9節                  主の御使いは言った。「女主人のもとに帰り、従順に仕えなさい。」

10節            主の御使いは更に言った。「わたしは、あなたの子孫を数えきれないほど多く増やす。」

11節            主の御使いはまた言った。「今、あなたは身ごもっている。やがてあなたは男の子を産む。その子をイシュマエルと名付けなさい

12節            主があなたの悩みをお聞きになられたから。

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15節            ハガルは自分に語りかけた主の御名を呼んで、「あなたこそエル・ロイ(わたしを顧みられる神)です」と言った。それは、彼女が、「神がわたしを顧みられた後もなお、わたしはここで見続けていたではないか」と言ったからである。

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17節            ハガルはアブラムとの間に男の子を産んだ。アブラムは、ハガルが産んだ男の子をイシュマエルと名付けた。

ハガルの人生は理不尽なことの連続でした。奴隷として売られ、主人たちの都合で愛がない妊娠を押し付けられ、都合よく子供ができたら嫉妬した女主人にいびられ、孕ませたその夫にまで知らん顔されました。とうとう、我慢の限界が来て逃げ出し、砂漠を超えて故郷に向かって出発しました。何とか、エジプトに向かうシュル街道沿いの水場にたどり着きましたが、ハガルのその後の見通しは暗かったです。身寄りのない妊婦には、砂漠の旅は辛くて危険なものでした。故郷に生きたまま帰れたとしても、それからの出産と子育てを思うと心細い限りでした。

ハガルの妊娠に神様の導きはなく、アブラムとサライの勝手な行動は皆を不幸にしました。ハガルが宿していた子供は間違ってできた、いない方が良い子供のように思えました。時間を戻すことができるなら、それまでのいきさつをなかったことにしたいと皆が思いました。水場の側に立つハガルは、だれからも見放されているかに見えましたが、お一人だけ、どん底に落ちた孤独な女性と、そのお腹にいる子供を見ているお方がいました。

呆然と立ち尽くすハガルの耳に語り掛ける声がしました。「サライの女奴隷ハガルよ・・・女主人のもとに帰り、従順に仕えなさい・・・わたしは、あなたの子孫を数えきれないほど多く増やす・・・やがてあなたは男の子を産む。その子をイシュマエルと名付けなさい。主があなたの悩みをお聞きになられたから。」ハガルにとって嬉しいのか、悲しいのかわからない話でした。数えきれないほどの子孫は有難い話でしたが、まずは自分をいじめた女主人のもとに帰れという指示を受けました。

この時代に生きる私たちは、人権というものがあり、個人の権利が尊重されるのが当たり前だと思いがちですが、歴史を生き抜いて来た人たちの大半は戦争や、貧しさや、病気や、食料不足や、理不尽な抑圧に耐えてきました。この時のハガルには良いと思える選択肢はなく、このまま進んで砂漠で野垂れ死にするか、意地悪な女主人のもとに戻るかの二つしかありませんでした。逃げ出した時のハガルは、サライのいびりに耐えながら生きるくらいなら死んだ方がましだと考えました。しかし、何故か、シュル街道の水場に立つハガルの気持ちは一変しました。

ハガルは感動して、「あなたこそわたしを顧みられる神です。」と言いました。生まれて来る子供の名前は「神がお聞きになる」という意味の「イシュマエル」と告げられました。サライが優しくなるという約束はありませんでした。しかし、ハガルは勇気を出して女主人の所に戻りました。生活は少しも楽になったわけでもないのに、ハガルの表情は穏やかでした。「神様が私を見ている。神様が聞いている。」ハガルにはそれで十分でした。

アブラムに現れた神は、逃走中の女奴隷にも語り掛け、どんなに不幸な事情でできた子供であっても、間違って生まれる子供はいないと、ハガルに確信させました。間違いがあっても、神様はそれを正解に変えてくださるお方です。何の傷もなく、幸せなことばかり体験して育つのは稀なことです。ほとんどの人は何らかの、口にもしたくない、辛い体験をしています。理不尽な思い出に悩まされる人もいます。そのような私たちに生きる勇気を与えるのは、自分を見て心に留めてくださるお方の存在を知ることです。

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