2022年10月31日 礼拝説教 「神様の当たりくじ」

 20221031日 礼拝説教

「神様の当たりくじ」

創世記1312節~18章節

12節               アブラムはカナン地方に住み、ロトは低地の町々に住んだが、彼はソドムまで天幕を移した。

13節               ソドムの住民は邪悪で、主に対して多くの罪を犯していた。

14節               主は、ロトが別れて行った後、アブラムに言われた。「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。

15節               見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。

16節               あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう。

17節               この土地を縦横に歩き回るがよい。わたしはそれをあなたに与えるから。」

18節               アブラムは天幕を移し、ヘブロンにあるマムレの樫の木のところに来て住み、そこに主のために祭壇を築いた。

アブラムの甥のロトが魅力を感じたソドムの街に住む人たちは、「神様に対して多くの罪を犯していた」と書いています。「人に対して多くの罪を犯していた」と書いていれば、強盗や殺人が多い街だったかと思うでしょう。しかし、「神様に対して罪を犯していた」とはどういう意味でしょうか。物語が進むに従って少しずつ、ソドムの人たちの罪の正体が見えてきますが、弘前にも堂々と「男性天国」と書いてある看板を出している店があります。法律に触れないように営業しているかと思いますが、女性客が喜ぶ店ではないのは確かで、中高生が入ろうとしたら間違いなく追い出されます。

お金の取引で両者の合意があるから、特に問題はないという考えもありますが、娘や妹にこのような店で働いて欲しいと思う親や兄弟はいません。利用する人も、本当は恥ずかしいことをしているという意識があり、関わっていても世間に知られないように工夫します。具体的に何が悪いかと聞かれても説明に困る人もいるでしょう。しかし、聖書は人類に与えられた最高の贈り物である夫婦愛や家族愛を汚す行為を、「神様に対する罪」と呼んでいます。

ロトは叔父さんのアブラムからたくさんの動物の群れを譲り受けましたが、遊牧民としての生活を好みませんでした。アブラムの生き方や信仰を見習う気持ちもなく、その証拠にソドムの近くに天幕を張り、ソドムの人たちと仲良くなり、最後はその町に住むことになりました。ソドムの人たちは、よそ者のロトを親切に迎え入れたかに見えましたが、その先にロトとその家族に不幸な運命が待っていました。

ロトと対照的な生活を選んだのはアブラムでした。街の生活から離れ、乾燥した場所で、動物の群れに必要な牧草を探しながらテント暮らしをしていました。どう見ても貧乏くじを引いたのはアブラムの方でしたが、神様はアブラムの選択を喜び、その貧乏くじを当たりくじに変えました。アブラムは手に取れるような現物を何一つ受け取りませんでした。受け取ったのは、自分の限られた命が永遠に有意義な物になるという約束と、日々の苦労を物ともさせない、大きな生き甲斐となる夢でした。

神様はエジプトでの一件が起きてから初めてとなる祝福の言葉をアブラムに与え、どの方角に向かっても、見渡す限りの土地を生まれて来る子孫に与えると約束しました。つまり今の苦労が確実に、後から来る世代を幸せにするという保証を与えました。移民として新大陸に渡る人たちで、一代目から楽な思いをする人はいません。最低賃金で働かされ、言葉や習慣に苦労しながら子供の教育に力を入れ、次の世代に夢を託します。先週、イギリスの新しい首相になった方の家族も、その良い例かもしれません。

近代社会はこの事実を見えにくくしていますが、幸せを通してか、不幸せを通してか、いずれはすべての人が悟るのは次のことです。人を心の底から満足させるのは、人生の終わりまで尽くすのにふさわしい人との出会いと、二人が協力して生み育てる命に力を注ぐことです。十代の皆様の多くは恋に目覚める時期を迎えていると思いますが、人は強い刺激にいくら酔わされても、快感の連続には満足できません。アブラムとロトの選択は私たちの選択でもあります。青春に付き物の欲求を軽率に扱うことなく、人間を本来の幸せに導く物として大事にしながら、素敵な人生につなげて欲しいと願います。

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