2022年9月5日 礼拝説教 「中断した高層建築」

 202295日 礼拝説教

「中断した高層建築」

創世記111節~9

1節               世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。

2節               東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。

3節               彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。

4節               彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。

5節               主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、

6節               言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。

7節               我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」

8節               主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。

9節               こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。

ボス争いに勝った動物は一番高い場所を好みますが、権力欲が強い人間にも同じような傾向が見られます。天下取りを目前にした織田信長は、安土城という、豪華絢爛な七層の天守閣を建てました。アメリカの前大統領はニューヨーク市の中心街に、200メーターを超える高さのビルを建て、自分の名前を付けました。フランス人は今から130年前に、高さ300メーターのエッフェル塔を建てましたが、150年以上前から競い合って高層ビルを建てたのはアメリカ人でした。

ニューヨークを中心に次々と高いビルが建ちましたが、48年前に高さ442メーターのウィリス・タワーが完成した街はシカゴでした。高さ競争に飽きたのか、それからしばらく、これを超える高さのビルは建ちませんでしたが、今から12年前、中東のドバイに、高さ828メーターのブルジュ・ハリファが建ちました。高さはウィリス・タワーの倍近くあり、岩木山の半分以上もあるので、これには驚きます。

ノアの洪水からしばらくの時間がたち、人口が回復し始めると、シンナルの地、つまり、現在のイラクの付近に、シュメール人の祖先が集中して暮らすようになりました。同じ頃、ナイル川のほとりにいるエジプト人の祖先は巨大な石をしっくいで固め、ピラミッドの建設を手がけていましたが、アラビア半島の反対側にいるシュメール人は、高い温度で粘土を焼き、壊れないレンガや粘土板を造るのに成功しました。しっくいではなく、地元で手に入るアスファルトで固めると、レンガを大量に積み上げても倒れないことに気付き、ピラミッドに負けない、巨大なジグラットという塔を建てる計画を進めました。

これはエジプト人への対抗意識の表れでもありましたが、空から雨を降らして先祖を滅ぼした神様への挑戦でもありました。「一致団結して、天にまで届く塔がある街を作るなら、洪水が来ても、何があっても怖くない。神様は『産めよ、増えよ、地に満ちよ。』と命じたが、自分たちの運命を、自分たちの手で握った方が確実だ。神様の言葉に従って各地に広がる必要なんかない。」このようにして人間は再び傲慢になり、命を与えた神様を敬い、感謝を捧げることを忘れてしまいました。

これをご覧になった神様が喜ぶはずはありませんでした。しかし、ノアとその家族と交わした約束があるので、自然災害を使ってこの人たちを懲らしめようとは思いませんでした。強くなり過ぎた人間集団には、外から攻めなくても、内側から崩すという方法がありました。時間と労力を犠牲にしてリーダーの夢を信じ、どこまでもついて行きそうな集団であっても、いずれは熱意が冷め、自分の都合を大事にするようになります。塔の建設を指揮していた人たちがいくら声を張り上げても、下働きには彼らの思いは通じなくなりました。最初は気持ちにずれができた程度のことかと思ったら、次第に言葉そのものも通じなくなりました。

神様のちょっとしたいたずらで、天に届くはずだった塔の建設は中断しました。考えも言葉も違う小さな集団が、次々と建築現場から離れ、四方八方に散って行きました。残った人たちは散らばったレンガを拾い、規模が小さくなった街の建設を再開しましたが、神様はその内の一人に目を付け、次の計画を手がけていました。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい。」他の誰にも聞こえなかったこの言葉はアブラムという人の心に響きました。旧約聖書の物語が本格的に始まるのは、ここからです。

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