2022年5月16日 礼拝説教 「二本の木」

 2022516日 礼拝説教

「二本の木」

創世記29節~17

9節               主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。

10節           エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。

11節           第一の川の名はピションで、金を産出するハビラ地方全域を巡っていた。

12節           その金は良質であり、そこではまた、琥珀の類やラピス・ラズリも産出した。

13節           第二の川の名はギホンで、クシュ地方全域を巡っていた。

14節           第三の川の名はチグリスで、アシュルの東の方を流れており、第四の川はユーフラテスであった。

15節           主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。

16節           主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。

17節           ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」

 「小さい頃は神様がいて、不思議に夢をかなえてくれた。小さい頃は神様がいて、毎日愛を届けてくれた。」この歌詞を聞くと、魔女の宅急便のエンディングテーマを思い出すと思いますが、もともとはデビュー間もない、松任谷由実が作ったソフトエクレアのコマーシャル・ソングでした。「神様がいた小さい頃。」人類にもそのような時があり、古代人の記憶に残っていたその頃の思い出は、聖書の言葉として私たちに伝わっています。縄文時代の日本も山や海の幸が豊かで、畑を耕さなくても食べる物がたくさんありました。自然の恵みをたっぷりいただいていた縄文人は、手の込んだ土器や土偶を作る余裕がありました。彼らの生活にも、不思議に夢をかなえ、愛を届けてくれる神様がいたのでしょうか。

最初の人間に与えられた生活環境は、縄文時代の日本に劣らない、豊かな森でした。先週から読み始めた二つ目の創造物語によると、最初に造られた生き物は人間で、その人間が住む場所として森が造られました。森の木には人を養う実がなり、特別にありがたいのは命の木でした。その実を食べると、永遠に死ぬことがないとされていました。もう一つの木がありましたが、その実を食べると必ず死ぬと言われました。中世の画家はリンゴの木として描きましたが、聖書にはリンゴの木とは書いていません。善悪の知識の木でした。

 この二本の木は本当にあったでしょうか。聖書に書いてある通り、本当にあったと信じる人も多くいますが、現代の人には例えとして理解した方がわかりやすいかと思います。いずれにせよ、人間に持ち物が一つもないのに、幸せに暮らしていた時代があったという話です。自然に頼って生きる動物たちは、やっとの思いでお腹をいっぱいにしていましたが、人間だけは違いました。余計なことをして不幸を招く可能性があるほど余裕があったので、神様は不自由なく生活する人間の心にブレーキのような、「これだけは絶対にダメ」という意識を育てました。

 食べてはならない実は何だったでしょうか。いろいろと想像できますが、話の先を読むと、持ち物や財産への欲望だったという説明が成り立ちます。皆が裸で暮らしている内は何とも思わないのに、服を着ている人間に出会うと恥ずかしさが芽生えます。無数にある森の木から取って食べている内は喧嘩になりませんが、畑を耕すと「入っちゃダメ。取っちゃダメ。」と言って、独り占めしようとします。道具を作るのが上手い人は武器の作り方を覚え、それを使って気に入らない人に傷を負わせます。無限にある自然の恵みと違って、数に限りある物が欲しくなると、奪い合いが始まります。

 人間はエデンの園に戻ることはできません。しかし、毎朝、礼拝堂に入ると、愛を届けてくれる神様に出会うことができます。森の木に養われていた頃と違って、人の生活はとても複雑になりました。欲しくても手に入らない物もあります。しかし、ここに来て心を静めると、本当に必要な物が全部揃っていて、とても豊か生活をしている自分に気が付きます。細かい規則に縛られなくても、やるべきことと、やってはいけないことが、響くように心に伝わって来ます。目に見えなくても、今も私たちの前に二本の木が立っています。命の木と善悪の知識の木です。どちらの実を選ぶかは、今も私たちの自由に任されています。正しい選択ができるように祈りましょう。

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