2022年5月9日 礼拝説教 「神の息」

 202259日 礼拝説教

「神の息」

創世記24節~8

4節                  これが天地創造の由来である。主なる神が地と天を造られたとき、

5節                  地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。

6節                  しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。

7節                  主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。

8節                  主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。

聖書の初めに二つの天地創造物語があります。先週まで読んでいたのは先の方で、今日から読み始めたのは後の方です。話に順序の違いがあり、神様の名前も違います。一般的な「神」という言葉を使っているのは先の方で、声に出してはいけないほど恐れ多い「ヤーウェ」という、神様の個人名を使っているのは後の方です。日本語訳で「ヤーウェ」に代わって「主」という言葉を使っています。「主、つまり、ヤーウェである神は、土の塵で人をつくり、その鼻に命の息を吹き入れた。人はこうして生きる者になった。」

すべての人に人権があり、人の命が同じように尊いという考えが世界に広まったのは比較的最近のことです。人が持つ美しさや、体力や、頭の良さや、生まれた家の身分に大きな差があるので、人の価値にも差があるという考えの方が一般的でした。戦争に負けたり、借金を返せなくなったりした人を、物として売り買いするのが当然だと思われた時代もありました。読み書き算数もできない、裸同然で原始的な暮らしている人たちを同じ人間と見る必要がないと考えたので、アフリカから一千万人以上の人が奴隷としてアメリカ大陸に連れて行かれました。

ドイツ人がユダヤの血を引く600万人の人を殺したのは有名な話ですが、その少し前に、知的障害を持つ人を、捨て犬同然に20万人も殺処分したという事実はあまり知られていません。相模原市の施設に忍び込み、利用者19人を刺し殺した事件を覚えている生徒が多いと思います。犯人は社会の役に立たない人間なので、生かす意味がないと言った言葉に大きなショックを受けたと思いますが、今から約80年前、ヨーロッパの先進国の政府が国の政策として同じことをしました。殺すまでに行かなくても、今も、生まれた時から人にランクを付ける国があります。身分の高い家に生まれた子供は、そうではない子供より価値があるとされ、法律で禁じられていても、国民の習慣として差別が続いています。

歴史を学ぶと、民族単位で奴隷にされたり、皆殺しにされたりした人の数に驚かされます。しかし、ある時を境に人には皆、人権があるという考えが広まり始めました。奴隷制度の廃止運動も盛んになり、始まってから数十年以内に奴隷の売買はほぼなくなりました。人は皆平等で、それまで一般的ではなかった、一人ひとりの命が尊いという主張が通るようになりましたが、その原因はどこにあったでしょうか。不思議に思うかもしれませんが、この考えを広めた人たちは聖書を信じ、今日読んだ言葉をとても大事にする人たちでした。

死んだら土に帰るのも、肺があって空気を吸うのも、人間だけではありません。しかし、この創造物語を読む限り、神様が自ら土と同じ成分を使って形を与え、命の息を吹き込んだのは人間だけでした。体や心の機能にいくら障害があっても、知能指数がいくら低くても、育った環境や、行った行為がいくら悪くても、人は皆人であり、神の息を吹き込まれた存在であり、地球上にある、他の何よりも尊い物です。

お母さんのお腹にいた時に人間の形を与えられ、生まれてオギャーと泣いた時に神様の命の息が吹き込まれました。聖書を本気で信じている学校なら、神様の命を受けた生徒を一人ひとり、神聖な物として大事にするはずです。神の息を吹き込まれた以上、何があっても人を粗末にしてはいけません。これは他人の命だけではなく、自分の命についても言えることです。「神は命の息を吹き入れ、人はこうして生きる者になった。」

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