2022年5月30日 礼拝説教 「おしゃべりする蛇」

2022530日 礼拝説教

「おしゃべりする蛇」

創世記31節~8

1節               主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」

2節               女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。

3節               でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」

4節               蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。

5節               それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」

6節               女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。

7節               二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。

8節               その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れた。

幼稚園で読んでもらった童話に熊やウサギなど、おしゃべりする動物がよく出てきました。しかし、童話の中に言葉を話す蛇はいなかったと思います。蛇を見るとゾッとするのは人間だけではありません。小さな隙間さえあれば忍び込み、不気味な動きをしながら近づいて来ます。雛や子供を狙う蛇は童話に相応しくない、自然界の嫌われ者です。聖書によると、人間の不幸は蛇との出会いから始まります。蛇は何を例えているのでしょうか。

親は子供の近くから悪い物を取り除き、危険のない、守られた環境を作るように努力します。しかし、いくら安全な場所を作り、注意深く見張っても、好ましくない物が近づいてきます。明らかに怖い物なら対処しやすいです。入って来ないように柵を設けたり、錠をかけたりすれば済むことです。しかし、生きて来た経験年数の違いから、親が危険だとわかっても、子供が怖いと思わない、心が惹かれる物になると話が違います。

組織は人を管理しやすいように規則を作ることが多いので、もっと自由にすれば良いという意見が出ても不思議ではありません。しかし、規則は皆、ブラック校則の類ではありません。親も教師も、預かっている子供の無事と幸せを心から願って作るルールもたくさんあります。自動車が激しく行き交う道路に飛び出そうとして聞かない二歳にもならない長男の手をきつく握りしめた時のことを忘れられません。子供の意思に任せて手を離せば確実に死ぬ場面でしたが、嫌われても子供の命を守らなければならない親として責任を痛感した一時でした。

ザンビアでJICAの教育活動をしてきた同僚から聞いた話ですが、朝、学校に行って生徒の欠席の理由を聞くと、昨日、学校の帰りにワニに食べられたと聞かされることがあったそうです。プールもないし、気温も高いので、子供たちにとって川は魅力あふれる遊び場でした。ワニがいるから遊ぶなと言っても、必ず聞かない子供がいました。

エバの蛇との会話を聞くと、誘惑に遭う中高生とかぶる部分が見られます。「皆やっているから大丈夫だよ。気持ちが良くなるだけで、死にはしない。」自分のことを一番大事に思っている親の思いは古い、ダサい、ウザイと思わせ、自分を都合良く利用しようとする赤の他人の言うことに引き寄せられます。気分は悪くないし、スリルもあります。親が警告したような大変なことは起きません。

しかし、自分だけルールを破ったとなると不安になり、仲間を増やそうとします。エバはアダムに禁じられた実を差し出し、大好きなエバが言うことなので、アダムに抵抗する気配も見られません。親は何も知らないはずなのに、子供が会うと目を合わせられなくなり、何でも話して相談に乗ってくれていた親を避けるようになります。「風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れた。」

禁じられた実を食べたアダムとエバは即死した訳ではありません。しかし、別な意味で彼らは死にました。これは罪の始まりとなり、人は死ぬものとなりました。人類の下り坂はここから始まりました。一見は何ともないことをしたように見えても、人はすべての恵みの源である神から隠れる存在になり、その結果は重大な物でした。 

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