2022年5月23日 礼拝説教 「独りでいるのは良くない」

 2022523日 礼拝説教

「独りでいるのは良くない」

創世記218節~25

18節             主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」

19節             主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。

20節             人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。

21節             主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。

22節             そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、

23節             人は言った。「ついに、これこそわたしの骨の骨わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう。まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」

24節             こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。

25節             人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。

中高生の皆様は、男女のことでときめき、悩み、楽しみ、苦しんでいる真っ最中かもしれません。人は異性との関わり方をめぐって、とても複雑な気持ちに振り回されます。これは思春期で終わることではなく、大なり小なり、一生付き合わされる問題です。今読んだ聖書の箇所の男女の描き方が差別的だと批判する人もいます。男女が一緒に造られる1章の物語と違って2章では、生き物が造られる順序は男の人、人間以外の動物、そして最後に女の人です。人は皆、女性の身体から生まれるのに、この話に出て来る最初の女性は、男性の身体から生まれます。一見、男尊女卑に見えるかもしれませんが、注意深く読むと、とても大事なことに気が付きます。

 「人が独りでいるのは良くない。」それもそうでしょう。友だちがいないと寂しいです。しかし、ここに書いてあるのは、そのようなレベルのことではありません。人間が生きて行く内に起こる、もっと重大な事の話です。「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。」つまり、大人になってもダラダラと親に頼る生活を続けるのではなく、けじめを付けて親と離れ、それまで無縁だった、赤の他人と結ばれ、その人と何があっても壊れない絆を結び、二人で自立した生活を始めるということです。

「人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。」体形も、才能も、格好良さも、育ちも、性格も、全部違います。しかし、出会って間もない、過去も良くわからない、特定の人間に自分のすべてを捧げ、さらけ出し、相手のすべてをも、自分の一部になったつもりで、無条件に受け入れます。考えてみれば恐ろしい話ですが、これが人のならわしで、人類が作り続けてきた文学、音楽や絵画の主要テーマがこの出会いであり、人は命をかけてそれを求めます。

 今の世の中には、同性の人ともこのような関係になれるという考えがあります。しかし、人類は異性同士で結ばれることによって存続してきました。今でも男女で結ばれるのが一般的で、聖書もそれを前提にしています。最初の人は、神様が造って連れて来た動物を面白がって名前を付けましたが、ペットの数がいくら増えても満足しませんでした。人が求めていたのは、深いレベルで言葉と思いが深く通じ合う、いつも一緒にいて、心を分かち合えるパートナーでした。

 アダムの心が求めているものを察した神様は、麻酔をかけたような状態にしてアダムのあばら骨の一部を抜き取りました。それから心臓、つまりハートの一番近い所にあるこの骨を使って女性を造り、目が覚めたアダムの前に連れて来ました。エバという名前が付けられたこの女性がどう思ったかは、知る由もありません。しかし、アダムは有頂天になって叫びました。「ついに、これこそわたしの骨の骨わたしの肉の肉。これをこそ、女と呼ぼう。まさに、男から取られたものだから。」

 アダムは一目で、エバが自分のクローンではないことに気が付きました。表情に自分にはない、奥の深い優しさがあり、身体には頭をくらくらさせる柔らかい、美しさがありました。しかしながら、この素敵な生き物が自分から出た、自分そのものであり、世の中に一人しかいないこの人に、自分のすべてを捧げようと思いました。この話の続きを読むと、二人の関係は嬉しいことばかりではありませんでした。しかし、人の幸せの基本形となる一つの理想として、男女のパートナーが示されていることに注目していただきたいです。

Comments

Popular posts from this blog

2019年3月8日 終業礼拝 「心のメンテナンス」

2024年2月26日 礼拝説教 「同行してくださる神」

2023年7月10日 礼拝説教 「人の心を固くする神」