2021年12月6日 礼拝説教 「ザカリアの子」

 2021126日 礼拝説教

ザカリアの子

ルカによる福音書15766

57節           さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。

58節           近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。

59節           八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。

60節           ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。

61節           しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、

62節           父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。

63節           父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。

64節           すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。

65節           近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。

66節           聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。

ザカリアは千年以上も続く祭司の家系に生まれました。アビヤ組のザカリア家に子供がなく、この代で途絶えようとしていました。若くもないエリサベトに子供が生まれた途端、周囲の人たちは家系の存続を喜び、アビヤ組にふさわしい名前を付けようとしました。「お父さんと同じザカリアが良いではないか」という結論が出ましたが、未だに口が利かないザカリア蚊帳の外でした。女性の発言権が弱い時代でしたが、エリサベトは必死に抵抗しました。「違う。この子の名前はザカリアではなく、ヨハネだ。」

「ヨハネ!?」周囲の人たちは耳を疑いました。今まで、アビヤ組にそのような名前はありませんでした。エリサベトの主張は、「この子に祭司職を継がせない。」と言っているのに等しいものでした。言葉が出ない夫とのコミュニケーションに苦労していたエリサベトでしたが、妊娠中に神殿で起きたことが伝わり、生まれて来る子供の運命への理解を深めました。「神様は覚えている」という意味のザカリアは、伝統を守るのが任務の祭司にふさわしい名前でした。生まれて来る子供に「神様が恵んでくださる」という意味のヨハネを付けるなら、次の代から伝統が途絶え、新しいことが始まるという証を立てることになります。

ザカリアが神殿で天使ガブリエルから聞いた言葉を思い出しましょう。「あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。 … 彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず … エリヤの霊と力で主に先立って行き … 準備のできた民を主のために用意する。」

旧約聖書の知識がないとピンと来ない言葉が多いです。「ぶどう酒や強い酒を飲まず」というのは、ヨハネがナジル人になるという意味でした。旧約聖書に「子供が授かるなら、生まれた時から頭に剃刀を当てません。」と祈るハンナの姿があります。ナジル人は神様に捧げられた世捨て人のような生活をする誓いを立てる人でした。一般社会との縁を切った印として髪を伸ばし、仲間と杯を交わしてお酒を飲むこともありませんでした。両親の世話をする役目から解かれ、神様が与えた任務に専念しました。授かった子は自分たちの物ではなく、勝手なこだわりで育てる訳にも行きませんでした。

ザカリアとエリサベトは、同じ確信で結ばれた理想の夫婦でした。子供の名前について判断を求められたザカリアが書いた言葉は皆を驚かせました。「この子の名前はヨハネ。」ザカリアも視野の狭い、個人的な執着を諦め、神様の大きなご計画に従う決意を表明しました。その瞬間、ザカリアを縛っていた呪いが解け、流暢に語りだしました。生まれたヨハネも特別な力を発揮し始めました。

執着とこだわり。人間であるなら、だれの心をも強く縛る物です。やっと生まれた大事な一人息子であるなら、なおさらのことです。しかし、人間を最高の生き方に導く神は、時には残酷と思えることを求めます。「あなたに想像もつかない大きな祝福を与えます。しかし、その前に、あなたが一番こだわっている物を手放しなさい。一粒の麦は地に落ちて死ななければ、実を結ぶことはできません。」

子供を授かったことのない皆さまにも、成長して世界に羽ばたくのを邪魔する物があるはずです。大した価値もないと知りながら、お金や時間を奪うもの。価値観が全く違う人と続ける、ダラダラしたお付き合い。欲張って二兎も三兎を追っている内に、大事な一兎を逃す生き方。一人一人が正しい判断に導かれ、揺らぐことのない決心が与えられることを願います。

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