2021年12月20日 礼拝説教 「ザカリアの賛歌」
2021年12月13日 礼拝説教
「ザカリアの賛歌」
ルカによる福音書1章67~80節
67節
父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。
68節
「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、
69節
我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた。
70節
昔から聖なる預言者たちの口を通して語られたとおりに。
71節
それは、我らの敵、すべて我らを憎む者の手からの救い。
72節
主は我らの先祖を憐れみ、その聖なる契約を覚えていてくださる。
73節
これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。こうして我らは、
74節
敵の手から救われ、恐れなく主に仕える、
75節
生涯、主の御前に清く正しく。
76節
幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、
77節
主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。
78節
これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、
79節
暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」
80節
幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。
ごく普通の人の生活に、宇宙の創造主である神様が手を差し伸べ、触れてくださいました。このことに感動したザカリアは、前々回のマリアと同じように突然、讃美を始めました。一年近くも無言だった人が急に歌い出したので、突然の出来事に皆が驚きました。歌った内容から、ザカリアがユダヤ人の歴史を強く意識していたことが分かります。旧約聖書の初めに登場するアブラハムに、神様は子孫に大きな幸せを与えると約束しました。その後に現れ、ユダヤ人の敵を追い払ったダビデ王に、その王室が永久に存続すると約束しました。
しかし、ザカリアと同世代のユダヤ人は、神様の約束を信じたいと思う一方、現実とのギャップの大きさに悩んでいました。ローマ帝国に重い税金を払わされ、その強力な軍隊に抵抗できそうな英雄はどこにも見当たりませんでした。神様は先祖アブラハムへの約束を忘れたのでしょうか。ダビデ王のような英雄は二度と現れないのでしょうか。ザカリアの両親は「そのようなことはない」と言い切って息子に「神は覚えている」という意味の名前を与えました。しかし、ザカリアという名前を付けられた本人は子宝にも恵まれず、立派過ぎる名前の重圧に苦しんでいました。
ところがこの日を迎え、髭に白髪が混じる年齢になっていたザカリアは心から納得しました。旧約聖書時代を通して、奇跡的な要素を含む子供の誕生は、神様自身が起こした新しい流れが始まることの兆候でした。自分の家にそのような子供を迎えることになったザカリアは感極まり、神様から確かな手ごたえを受けたと確信しました。ヨハネはお父さんが仕える神殿に興味を示さず、成長するに従って、乾ききった荒野に出かけることが多くなりました。これは祭司になる人ではなく、旧約聖書のモーセやエリヤのように、預言者になる人が修行に出かける場所でした。植物も水もない荒れ野には誘惑も、気を散らす物もなく、ヨハネはここで神様の声を直接聞く人である、預言者になる訓練に励みました 。
讃美を終えたザカリアは生まれて来たヨハネの将来について語りました。「幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整える。」ザカリアは既に、生まれて来るヨハネが「主の御前に偉大な人になる」という言葉をいただいていました。しかし、神様ご自身がプロデューサーとして腕を振るう、この壮大なドラマの主人公になるのはヨハネではありませんでした。ユダヤ地方に一大センセーションを巻き起こした名優のヨハネさえ、比較にならないほど偉大な主役の引き立て役に過ぎませんでした。大人になってからも、先に現れたヨハネは、名もないナザレから来た大工の子を指して「この人だ!」と宣言しました。誕生した時も同じで、ヨハネの誕生に驚いた人たちをもっと驚かせる、更に大きなサプライズが待っていました。
灯っていないろうそくは残り一本となりました。来週の月曜日に四本が灯り、この礼拝堂にクリスマスの主役を迎えます。このお方の前では、どれほど偉大な人物でも、脇役にしかなれません。しかし、だれでも、この方の露払いか、または付き人になる決心をするなら、キリストの聖誕が力となり、新しい朝を迎えます。来週の舞台は、ヨハネの実家があるエン・カレムの村から、ユダヤ地方にあるもう一つの小さな村、ベツレヘムに移ります。この場所で起きる出来事は、人類の歴史の分かれ道となります。
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