2021年11月8日 礼拝説教 「わたしの言葉を信じなかった」

2021118日 礼拝説教

わたしの言葉を信じなかった

ルカによる福音書11825

18節             そこで、ザカリアは天使に言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」

19節             天使は答えた。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。

20節             あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」

21節             民衆はザカリアを待っていた。そして、彼が聖所で手間取るのを、不思議に思っていた。

22節             ザカリアはやっと出て来たけれども、話すことができなかった。そこで、人々は彼が聖所で幻を見たのだと悟った。ザカリアは身振りで示すだけで、口が利けないままだった。

23節             やがて、務めの期間が終わって自分の家に帰った。

24節             その後、妻エリサベトは身ごもって、五か月の間身を隠していた。そして、こう言った。

25節             「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました。」

「何ンにつけ一応は、絶望的観測をするのが癖です。わかりもしない望みで、明日をのぞいてみたいりしないのが癖です。夢もあります、欲もあります、かなうはずなんてないと思います。夢に破れて、あてにはずれて、泣いてばかりじゃいやになります。雨が好きです。雨が好きです。あした天気になれ。」

大ヒットした「悪女」と同じ1981年にリリースされた中島みゆきのシングル、「あした天気になれ」の一節です。天才的なシンガーソングライターですが、中島みゆきの歌詞の多くは、心の奥までひっかき回すシビアなものです。歌っている本人が本当に希望しているのは晴でしょうか、雨でしょうか。かなわない夢を抱くことに疲れ、本心とは逆のことを言って強がっているようにも聞こえますが、このような気分は誰にも覚えがあると思います。

子供が欲しいと必死に祈り、その兆候が見られたかと思い、心を躍らせたり、失望したりするのを繰り返してきたザカリアの心は疲れていました。劇的な形で「希望が叶う」という言葉をいただいても、素直に受け入れる余裕はありませんでした。恐れ多くも、神殿の奥で天使から聞いたことであっても、ザカリアの口から出たのは「確証が欲しい」という言葉でした。

聖書は「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と教え、究極の過ちは、神様の言葉を信じないことだと教えています。しかし、「信仰を持て」というのは、「騙されやすい人になれ」という意味ではありません。聖書は信仰を勧める一方で何度も、「騙されないようにしなさい」という警告を発しています。信仰は何でも無分別に受け入れることではなく、背後から押してくれる大きな力があると信じ、前向きに生きようとする、心の持ちようの一つとして考えるなら、わかりやすいかと思います。

人に命を与え、その命を支える神を信じる人は、希望を持ち続けます。聖書が教える信仰は、どんな絶望的な状況にあっても、「努力しても無駄だ」と思わない姿勢を貫くことです。全能者である神による天地創造があり、この宇宙の存在に意味があるなら、悪いことがいくら続いても、その先のどこかに、必ず答えがあると信じることができます。

信じなかった罰として、ザカリアの口が利かなくなりました。しかし、これは次元の高い、衝撃的な体験をした人によくあることで、単なる罰ではなかったと思います。目に見える世界の言葉を使って、目に見えない世界の話をするのは不可能に近いことです。言葉や数字で表せるのは日常的な自然界のことで、超自然的なものに触れた人は、体験したことについて語るのをためらいます。神の霊感によって書かれたという聖書の言葉も、交わるのが困難な、二つの世界の接点にあるものだと考えるなら、わかりやすいと思います。

神殿奉仕から帰って来たザカリアの様子は変でした。迎え入れたエリサベトは困惑しました。一言も言えなくなった夫が脳梗塞になったのかと思ったら、今までにない勢いで夫婦の営みを求めるようになりました。数か月がたち、最初は「まさか」と思って見過ごした兆候が顕著になり、その「まさか」が現実となりました。エリサベトは妊娠していました。

お腹が目立ち始めると周囲の目が気になり、家に閉じこもるようになりましたが、その時のエリサベトの言葉に、それまでの痛切な思いが深く込められています。「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました。」目に見える世界に、目に見えない世界が触れました。信じ続けたこの夫婦に、神様が起こした奇跡が訪れました。

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