2021年11月22日 礼拝説教 「信仰を支える仲間」

 20211122日 礼拝説教

信仰を支える仲間

ルカによる福音書13945

39節             そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。

40節             そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。

41節             マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、

42節             声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。

43節             わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。

44節             あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。

45節             主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」

恋をしたことのない人と、恋愛の話をしても気持ちは伝わりません。生まれながら、目が不自由な方に、好きな色の話をするのはとても難しいことです。好みが違う人と、好きなジャンルの音楽の話をしても、あまり意味がありません。宗教体験についても同じことが言えます。神様に触れられたことのない人に信仰の話をすると、変な目で見られます。新約聖書の中でパウロはこのように言っています。「自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。」

あり得ないことを聞かされたザカリアとマリア。二人とも「どうしてそんなことを信じられましょうか。」という疑問を抱きました。ザカリアに与えられた証拠は罰のようなもので、子供が生まれるまで口が利かないと告げられました。対照的にマリアは子供を産がめなかった親戚、エリサベトの妊娠について聞かされました。

聖書に書いていませんが教会の伝統によると、エリサベトが住んでいたのはエルサレムの郊外にあるエン・カレムという村でした。マリアの村のナザレから、弘前と盛岡を結ぶくらいの距離でしたが、バスも電車もない時代にマリアは躊躇することなく出かけました。あまりにも信じられない体験をしたマリアの近くに相談できる人はいませんでした。どうしても、自分の身に起きたことを理解できる人に会い、天使の言葉が本当なのかを確認したかったのです。

住んでいる場所や、社会的身分の違いを考えると、かなり遠い親戚だったように思います。どんなご縁でマリアとエリサベトの家族が結ばれたのでしょうか。わかりませんが、どちらも貧しいながら、救い主を待ち望んでいたという、共通点がありました。しばらくぶりだったかもしれませんが、同じようなことを体験したお二人は、会った瞬間から意気投合しました。エリサベトがとっさに口にした言葉は、先週紹介したカトリックの「聖母マリアへの祈り」の続きの部分です。「あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています。」

多くの人の夢が実現しないのは、同じ夢を見て励ましてくれる人がいないからです。いくらすばらしい、実現可能な夢でも、周囲にいる人が皆、「無理だ」と言うと、ほとんどの人は自信を失って諦めます。家族は選べませんが、友だちは選べます。仲間を大切にしなければなりませんが、向上心がない仲間と一緒に泥沼に沈んでも意味がありません。否定的なことしか言わなかったり、自分の不幸を人のせいにしたり、成功している人を悪く言う人を避けてください。助けて上げようと思って付き合っても、時間がたつ内にあなたもやる気を失い、仲間と一緒に負のスパイラルに落ち始めます。

大事だと思う物に出会ったら、同じ思いがある人を探してください。いないと思っても、必ずどこかにいます。心に灯った火を絶やさないように、同じ火に燃やされている人と時間を過ごすのはとても大切なことです。互いに心を弾ませ、夢の実現に向けて力を合わせてください。「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」マリアはエリサベトのこの言葉を聞いて確信を深めました。私たちにも同じような友が必要です。お一人お一人に、相応しい仲間が与えられることを願います。

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